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		<title>読み物｜手づくりタウン by 日本ヴォーグ社</title>
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		<description>手づくりタウンの「読み物」ページです。</description>
		<lastBuildDate>Thu, 30 Jul 2026 02:21:33 +0900</lastBuildDate>
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			<link>https://www.tezukuritown.com/contents/article/detail/2147</link>
			<category>読み物</category>
			<title>岡野栄子さん</title>
			<description>&lt;p&gt;パッチワークキルト キルター 作家 鷲沢玲子  キルトジャパン  
岡野栄子さん
【プロフィール】1946年東京生まれ。1966年文教大学短期大学部卒業。1978～90年まで野原チャック氏にパッチワークキルトを師事。その後フリーでキルト工房「バスケット」主宰。1983年アメリカンアンティークキルト展出品。1986年日本のキルトの幕開け展出品。以降展示会に作品多数出品。1996年『岡野栄子のキルトエッセイ』（日本ヴォーグ社）出版。その他著書多数。また、オリジナル作品を多数雑誌に発表している。
 
岡野さんのキルトを前にすると、そのあふれんばかりの色の洪水と、形や線の自由闊達さに飲み込まれそうになる。布と糸で描いた油絵、そんな印象を持つ。直感で大胆にはさみを入れた形は、二度と同じものは生まれない。輪郭を取る刺しゅうは、思いのままにあちこちを走り回る。
その一瞬に感覚を凝縮させ、尋常ならざる世界に自分を持っていき、エネルギーを噴出させる。まるでマラソンランナーか苦痛の末に到達するマラソンハイの状態だと、岡野さんは言う。「おいしいシリーズ」のテーマ性や、「おもしろキルト」のボタン使いなど、常にアイデアあふれる独自のキルトを発表してきた岡野さんに、創作の秘密を聞いてみた。
「私の作り方って、三つか四つの作品を同時進行させるんですよ。ミシンやキルト台のあるアトリエではどっしり座ってやる作業ですし、家では手元でできるピーシングなど。やることが場所によって違うと気分転換になって、能率が良くなるんです。いつもいつも作りたいものがあるので、トップができてしまうと、頭の中は次の作品に飛んでいきます。かといって、キルティングがつまらないというわけではなく、それはそれで楽しいのですが…」。キルトを作っていて、突然何かが見えた時は、身体中をアドレナリンが駆け巡り、時間も止まるし食べることも眠ることも忘れてしまう。この、狂気に近づく一瞬に自分を持って行き、一気に勢いに乗る。
―本文より一部抜粋―　キルトジャパン2000年11月号より
 

今や創作になくてはならないボタンの使い始めは、貝ボタンの美しさに魅かれて、キルティング代わりにしたボタン止め。かなりいたずら好きでキュートな岡野さんと、ボタンの存在は似ていて、相性がいい。アンティークのもの、現代のもの、イギリスやフランスなど旅先で求めたものなど、アトリエにはボタンがさまざま。
 

アトリエのところどころにコレクションや愛らしい小ものがたくさん。小さなミニ額は、お嬢さんの手描きの、岡野さんへの賞状。ひたすらキルト創作に人生をかけてきた母への、尊敬の念と激励の優しさがあふれている。
 
「読むキルト」の一作目となった1985年作の「娘の日記より―きょう、わたしは……」。娘、直子さんの幼少の日記をキルトに。左は日頃、書き溜めておいた文章が、キルトの中に書き写されていく。
 
『本日はお日柄も良く―Vol.4』　200×150cm
ウエディングキルトの課題に応えて作り始めたシリーズ4作目。5つのパーツで構成しながら着物の形にしたタペストリーは、それぞれのキルティングを終えた段階でこの形にまとめられる。着物として、視覚的にバランス良く映るサイズや形を生み出すのに苦心。この作品では、初めてプリントオーガンジーを使用。重ね合わせて生まれる新たな色は、まさにキャンバスに絵具を混ぜ合わせているような感覚で、発見が多くあったと語る。
 キルトジャパン編集部       &lt;/p&gt;&lt;p align="right" style="color:gray"&gt;掲載日時:2025/05/19 00:00&lt;/p&gt;</description>
			<pubDate>Mon, 19 May 2025 00:00:00 +0900</pubDate>
			<pubDateShort>2025.05.19</pubDateShort>
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			<link>https://www.tezukuritown.com/contents/article/detail/2142</link>
			<category>読み物</category>
			<title>片桐好子さん</title>
			<description>&lt;p&gt;パッチワークキルト キルター 作家 鷲沢玲子  キルトジャパン  片桐好子さん【プロフィール】大阪市出身、奈良市在住。1990年第1回キルト日本展にて『傾―KABUKI』文部大臣奨励賞受賞。1992年から「キルトスペースYOSHIKO」を主宰。1993年パシフィック・インターナショナル・キルト・フェスティバルにて『風―KAZE』入選。1994年第1回個展「粋を遊ぶ展」を日本ヴォーグ社(東京)にて行う。1995年アメリカン・キルターズ・ソサイティ・アニュアル・ショー・アンド・コンテストにて『春―SPRING』入選。以降コンテスト受賞歴多数。現在は奈良、大阪の「和布でたのしむキルト教室」で教えながら、粋なコンテンポラリーアートを目指して制作中。1993年にパッチワークスクールに通い始め、飽きっぽい性格という片桐さんが、気がつけばキルトを20年以上も続けているのである。 「私、アップリケは昔から好きで、独学で40年以上もやってきました。子供たちが小さい頃は洋服や小ものにアップリケしたものをたくさん作りましたが、今でも見ると懐かしい気持ちになりますね」パッチワークスクールでは、自分が一つの課題を仕上げるまでに、早い人は3つも4つも作る。「これはついていけないわ。来月はやめよう」と思いつつ、和裁をやっていた姉の残した和布を持っていくと、それで作ってもOKと言われ、自分なりの活路が見え始めた。「もしかしたら、自分がやりたいことはこれだったのか」という思い。そして、パッチワークに、得意のアップリケを融合させた作品を作りたいと構想がふくらみ始めた。もともと布が好きだったので上達も早く、スクールに在学中から講師となった。その頃作った『傾―KABUKI』という作品が、第1回キルト日本展文部科学大臣奨励賞を受賞する「小さい頃から歌舞伎や着物など日本的なものに慣れ親しんできた下地が、自然に和布を使って日本人の美意識を表現したいという、こんな作品になったと思います」という片桐さんだが、以来一貫してこの道を追求することになった。―本文より一部抜粋―　キルトジャパン2005年1月号より裁縫道具は、底に「小林又八」と名がある昔の大工さんが使っていた木製の箱に入っている。箱のふたが上に開くので中のものが取り出しやすく、引き出しには糸や小ものが入っている。父からゆずり受けた大切な大工道具入れが裁縫箱に変わった。骨董市などで買い求めた着物の数々。着物に囲まれ「至福の時」が瞬く間に過ぎていく。『傾―KABUKI』1990年制作　200×200cm1990年第1回キルト日本展文部大臣奨励賞受賞。歌舞伎の舞台に季節感を与える花と、役者の表情を豊かにさせる小道具たちを、墨色に手染めした土台布の上にバランスよく並べてある。タイトルの「傾」は、歌舞伎の語源である「傾く(かぶく)」からとったもので、ボーダーに配置した茶色とオリーブ緑の2本線は、歌舞伎の舞台の定式幕(じょうしきまく)を表している。 『微―HONOKA』2004年制作　145×145cmインターナショナル・キルトウィーク名古屋2004「ランの花キルト」出品。片桐さんは、日本古来のランの花を探求しているうちに、熊谷草(くまがいそう)とか敦盛草(あつもりそう)と呼ばれる花に出合った。花の形が武士(もののふ)の背負う母衣(ぼろ)に似ているので、そのような名前で呼ばれている。林の中で静かに咲くその花は、武士の魂のように思えていとおしい…。
 キルトジャパン編集部       &lt;/p&gt;&lt;p align="right" style="color:gray"&gt;掲載日時:2025/03/02 00:00&lt;/p&gt;</description>
			<pubDate>Sun, 02 Mar 2025 00:00:00 +0900</pubDate>
			<pubDateShort>2025.03.02</pubDateShort>
		</item>
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			<link>https://www.tezukuritown.com/contents/article/detail/2137</link>
			<category>読み物</category>
			<title>角 木綿子さん</title>
			<description>&lt;p&gt;パッチワークキルト キルター 作家  キルトジャパン  
角 木綿子さん

【プロフィール】1977年原宿パッチワークスクールに入学。1980年より鷲沢玲子さんに師事。トラプントキルトの美しさに惹かれ、その技法を取り入れた作品の制作に力を入れている。角木綿子パッチワークキルトサークルを主宰し、自宅教室、金沢教室以外にNHK文化センター横浜ランドマーク教室を務めている。共著に『はじめてのパッチワーク キルティング』(日本ヴォーグ社)がある。
 

「時間のパッチワーク」がキルト

キルトは、布をつないで違う世界を創り出すおもしろさとともに、細切れの時間でも積み重ねていくことで完成に近づける。その意味では「時間のパッチワーク」がキルトだとも思う。家事をやりながらでも、ちょっとの時間に針を持つことはできる。そして30年続けてくると、お楽しみではすまなくなり、制作は芸術だと思っている。追求する姿勢が問われ、厳しさが大きくなればなるほど、作品ができた時の喜びも大きくなってきたのを感じている。

音楽はショパンやドビュッシーが好き、絵はモネやルノアールが好き、色も白やブルー、ペパーミントグリーンが好きというように、美しいもの、優しいものが好きという角さん。キルトも悲しさや苦しさ、怒りをぶつけるものではなく、優しさに包まれているような心地よさを大切にして作りたいという。

特にトラプントを知ってからは、キルトの美しさを表現するためにキルティングは最優先作業となった。もともとキルトの作業の中では、キルティングが一番好きだ。延々と針目をつなげることで、布に陰影が生まれ、デザインの表情が出てくることに魅了される。角さんには、ホワイトキルト、トラプントはキルティングの魅力の集約されたものとも思えるという。

鷲沢さんの教室へは創設当初から通っているが、そこではキルトの技術だけでなく、人生そのものを学んだと思っている。生徒たちは同じものを目指す仲間でありながら、競争ではない良い関係があった。何より鷲沢さんの前向きな姿勢が、気持ちよく感じられたという。
 



自宅アトリエの窓辺にあるテーブルと毎日使う道具たち。
 

 

お針箱にはアンティークの小ものや使いやすい道具を入れて楽しんでいる。
 

 

角さんが手に持っているのは、1984年制作のドランカーズパスのキルト。20数年経って布も薄くなってしまったが、家族を見守ってきた大好きなキルト。その他にも思い出に残るキルトがいっぱい。
 

 

﻿『レ・シルフィード』2006年制作　210×182cm

パリのクリニャンクールでアンティークの布を見つけ、優雅で美しい布のイメージをこわさないように、プロヴァンスで出合ったブティの図案を参考にして制作。妖精が舞い降りてくるような、美しいキルトができ上がった。
 

―本文より一部抜粋―　キルトジャパン2007年9月号より

 キルトジャパン編集部       &lt;/p&gt;&lt;p align="right" style="color:gray"&gt;掲載日時:2024/11/26 00:00&lt;/p&gt;</description>
			<pubDate>Tue, 26 Nov 2024 00:00:00 +0900</pubDate>
			<pubDateShort>2024.11.26</pubDateShort>
		</item>
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			<link>https://www.tezukuritown.com/contents/article/detail/2134</link>
			<category>読み物</category>
			<title>鷲沢玲子さん</title>
			<description>&lt;p&gt;パッチワークキルト キルター 作家 鷲沢玲子  キルトジャパン  
鷲沢玲子さん



【プロフィール】東京都生まれ。1980年東京国立市に「キルトおぶはーと」を主宰。1987年代官山ヒルサイドテラスにて「キルトフェスタ」開催し、図録「キルトフェスタ」を出版。1992年「鷲沢玲子のパッチワークキルト入門」出版（日本ヴォーグ社刊）。その他著書多数。
 

仲間なしには語れない私のキルト

鷲沢さんは、自分のキルトワークは、生徒たちのことに触れないでは語れないと、何度も繰り返した。取材の日は、月に1回のデザイナーズクラスの教室がある日だった。13,4人のメンバーは生徒とは言っても、鷲沢さんのところに20年くらいは通っていて、自身も30～100人の生徒を持っているベテランばかりだ。

この日は、キルト展に出品するための、それぞれ大詰めを迎えた作品を持ち寄っていた。一人ひとりの大作キルトがボードにかけられるたびに、「素敵ね！」と感嘆の声が上がる。

しかし、最後に鷲沢さんの作品が掛けられると、生徒たちの感動が発せられるまでに一瞬の空白があった。鷲沢さんがよく言う「昨日よりも良い作品を作ることが、生徒たちに対する恩返し」という言葉を裏切らない、清新でどこか凛としたキルトが今回も目の前にあった。「ここにいる人たちは、子育ての頃から知り合って、その子どもの結婚、孫の誕生、夫の定年と人生の節目をキルトと共に過ごしてきた仲間なのです。キルトが一朝一夕にはできないように、この仲間も時間をかけて培ってきた信頼関係で結ばれています。私にとっては、かけがえのない仲間ですね」と鷲沢さんは語る。



鷲沢さんは、大学卒業後すぐに結婚してから2年ほどで今のお教室がある国立に引っ越した。それを機に大好きな手芸に没頭し、パッチワークと出会う。その頃は日本のパッチワークの創成期ともいうべき時期で、洋書を訳しながらの独学だったとはいえ、横のつながりもでき始め、講師ばかりのパッチワークの研究会で野原三輝さんに言われた言葉は今でも忘れられない。「僕たち、初めからパッチワークに関わってきているんだから、これを広めていく義務があるよね」「三輝さんにそう言われて、ああそうだ、楽しい世界を広めようと思いました。その後ずっと、このことを見失わないようにやってきたような気がしますね」その後鷲沢さんの「キルトおぶはーと」の第1回作品展麻布美術工芸館で開いたとき、三輝さんがそれを見て「いい指導をしているね。作品に表れているよ」と言われた。どんなほめ言葉より嬉しかったと言う。
 



『ピンウィール』2000年制作　170×196cm

“小さな布を、日常の必要な大きさまで縫い合わせる”という基本ポリシーは当初から一直線上にあり、変わっていない。たった4枚のピースからなるオリジナルデザインの繰り返しは、配色やキルティング、トラプントと一体となって、すべてが消化された透明感を放つ。
 



自分に関わった人が、関わって良かったと、思ってくれる。自分のできることでそうなるのなら、トライしてみようと思う。そんな鷲沢さんの気持ちが伝わる、デザイナーズクラスの授業風景。
 



『ダイヤモンドウェディングリング』1999年制作　203×138cm

一般のウェディングリングより分割をシンプルにして、たった4枚のピースのパターンにデザイン。中央のトラプントのは朱赤の毛糸を入れて、セピアのレースの上に置いたばらの花束を表現。“よりシンプルで、個性的な美しさを持つ”の基本的な考え方が明快なキルト。
 



『生命の木』1996年制作　150×200cm

グスタフ・クリムトが描いた生命の木の絵画を中央のキルトデザインにアレンジしたタペストリー。地球上の生物の原点だと言い伝えられている生命の木の部分には、みどり色の詰め物をし、絹にかすかなみどり色の光と香りを与えて、生命の爽やかさや力強さを表現。絹の和布のタペストリーは、鷲沢さんの母校にかけられて、生徒たちに命の賛歌のエールを送っている。
 



─本文より一部抜粋─　キルトジャパン2000年5月号より

 キルトジャパン編集部       &lt;/p&gt;&lt;p align="right" style="color:gray"&gt;掲載日時:2024/09/03 00:00&lt;/p&gt;</description>
			<pubDate>Tue, 03 Sep 2024 00:00:00 +0900</pubDate>
			<pubDateShort>2024.09.03</pubDateShort>
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			<link>https://www.tezukuritown.com/contents/article/detail/2124</link>
			<category>読み物</category>
			<title>若山雅子さん</title>
			<description>&lt;p&gt;パッチワークキルト キルター 作家 若山雅子  キルトジャパン  若山雅子さん【プロフィール】高校時代から独学でキルトを始める。短大卒業後、五年間会社勤めを経験。結婚退職し、夫の転勤で2年間札幌で過ごす。この間に大滝学園で1年間キルトを習い、猛烈に制作する。帰京してからパッチワーク通信社のインストラクターコースを1年間受講。1987年ショップ＆工房「クリブキルト」を設立。2002年ドイツのキルトショーに日本人で初めて講師として招かれる。ファーストキルト。1982年制作　180×170cmその当時、アメリカンコットンがあまり出回っていなく、コットンプリントで作ったというダブルウェディングリングのキルト。今でも家族で使われ続けているキルトは、鮮やかだった赤が時を経て優しい色合いに変化した。キルトを習うため、子どもをおぶって往復4時間若山さんのキルト歴は、高校時代に始まる。当時雑誌「私の部屋」が出たばかりの頃で、若い女性が手作りのインテリア小物で、生活を楽しむという新風が巻き起こっていた。同時期に出た松浦香苗さんのパッチワークキルトの本は、若山さんにとっては、バイブルだった。こうして雑誌を参考に、自己流のキルトを作っては楽しんでいた。短大卒業後、五年間会社勤務した。そこでご主人にめぐり合い、結婚退社。「主人の転勤で札幌に移ったのですが、誰も知る人のいない土地での社宅生活で、寒い雪の中を出歩くこともできません。寂しさを紛らわせるためもあって、この二年間にモーレツにキルトを作りまくりました」今はお店もなくなったが、札幌のもあさんによく布を買いに行った。社宅で知り合った人に、「赤ちゃんを背負ってでも、キルトは習えるわよ」と言われ、そごうデパートの中の大滝学園に通い始めた。「二時間の授業を受けるのに、往復四時間、長女をおぶって通いました。子どもが歩けないうちはおぶっていられたからまだよかったのですが、歩き始めてからが大変でした。そんな思いをしてでも、とにかく習いたかったんですね」この大滝学園での一年間に、キルトの基礎を学んだ。家では、寸暇をおしむように針を動かしていたので、社宅の奥さんたちには「キルトの若山さん」で通っていたそうだ。札幌の二年間を終えて帰京したあとは、若山さんの両親の住む現在の家で、同居生活を始めた。子どもを通して、近所の若いママたちと交友ができたが、遊びにくると家中にあるキルト作品が目に入る。そこで「私たちにも教えてくれない？」となり、自宅で数人に教え始めた。それから一年後、店舗として人に貸していた自宅の一階部分が空いたのを機に、パッチワークショップ&amp;工房「クリブキルト」を開くことにした。「始めはケーキ屋さんはどうかしらとか、そんなことを思っていたくらいですから、家賃はいらないしという気楽な考えで、まあ不純な動機ですよね（笑）。それで生徒五人から始めた教室も、現在百人に近くまでなってしまいました」と言う。「クリブキルト」という名前は子ども用キルトのことだが、長女の誕生に作ったベビーキルトに思い入れが深かったので、迷いなくこの名前を選んだ。ありがとうアメリカ　1996年制作　170×140cm若山さんがキルトと出会い、そしてとりことなり、そのキルトを伝えてくれたアメリカに感謝を込めて作ったという。歴史の流れの中で幾度となく姿を変えていった星条旗を通して、伝統的な手作りの優しさを表現した。思い出に残る初めての星条旗キルトだ。第10回若山雅子クリブキルト作品展。若山雅子さんを囲んで嬉しい表情のクリブキルトの皆さん。─本文より一部抜粋─　キルトジャパン2003年9月号より
 キルトジャパン編集部       &lt;/p&gt;&lt;p align="right" style="color:gray"&gt;掲載日時:2024/05/23 00:00&lt;/p&gt;</description>
			<pubDate>Thu, 23 May 2024 00:00:00 +0900</pubDate>
			<pubDateShort>2024.05.23</pubDateShort>
		</item>
		<item>
			<link>https://www.tezukuritown.com/contents/article/detail/2116</link>
			<category>読み物</category>
			<title>吉田サチ子さん</title>
			<description>&lt;p&gt;パッチワークキルト キルター 作家 吉田サチ子  キルトジャパン  
吉田サチ子さん



【プロフィール】福島県郡山市出身。桜の聖母短期大学家政科卒。故野原三輝氏に指示、キルト歴21年（2006年当時）。国内外のキルト展において多数の入賞、入選を果たす。1994年「日本んのキルト20人展」、1998年「交際キルト博」などに出品。
 



「夢幻」1988年制作　204×204cm

着物の絹地で作った最初の作品。父母、姉妹、祖父や祖母、祖父母の着物、初めて骨董市で買った着物など、思い出深い布がたくさん使われている。このキルトにはパッチワーク教室で習ったテクニックが多く活かされている。
 

始めの2枚以降、ずっと和布を使用

艶やかなちりめんを使用した、和のキルトで知られる吉田さん。仙台で子育てをしながら手芸を楽しんでいたが、ご主人の転勤が仙台から東京に決まり、ハーツ＆ハンズの野原三輝さんのところへ通い始めたのが、1984年12月頃のことだった。「パターンを習うたびに、色合いとか全体のできに三輝先生が点数をつけてくださるのですが、結構ドキドキしながらも楽しかったですね。先生は優しいので点も甘くて、大体が皆85点以上ついていましたが、1回だけ100点をもらいました。みんなの作品を見るのも、楽しいものでしたよ」

ハーツ＆ハンズには12年間在籍したが、入って2年後から、近所の人たちに教え始めた。入校初めての作品は、バスケットのパターンのトラッド。次に何を作ろうかなと三輝さんに言うと、誰も作ったことが無いパターンだからライジングスターがいいと、製図まで引いて下さったという。トラッドを2点作ったところで、アメリカの生地のパッチワークから離れて、何か自分らしい作品を作りたいと思い始めた。当時はパッチワークと言えばアメリカのVIPの生地が主流で、アメリカの作家たちの作品に自分の使った生地が使われていると「この生地私ももってる！」と大喜びするような時代だった。「そこで私は、生地を変えようと思ったの。日本には着物地という素晴らしい遺産があるじゃないですか。両親や親戚の着物をもらってほどき、でき上がったのが『夢幻』という作品でした」

吉田さんの母方の祖父は、二本松に製糸工場を持っていたそう。田舎の家に行くと土間には繭がいっぱい詰まった麻袋がいくつも置いてあった。着物地へと引き寄せられたのは、偶然ばかりのことではなく、運命的とも思えるのだ。
 





『波の泡の調べー折り紙を折って開いて二艘船』2004年制作　200×200cm

「折り紙を折って開いて」から生まれた二艘船のパターンで、今回はパソコンを使って回転させ、さらに回転の度数を変えてある。着物地とデジタルによるデザインで、古さと新しさを表現。
 

─本文より一部抜粋─　キルトジャパン2006年1月号より

 キルトジャパン編集部       &lt;/p&gt;&lt;p align="right" style="color:gray"&gt;掲載日時:2023/12/05 00:00&lt;/p&gt;</description>
			<pubDate>Tue, 05 Dec 2023 00:00:00 +0900</pubDate>
			<pubDateShort>2023.12.05</pubDateShort>
		</item>
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			<link>https://www.tezukuritown.com/contents/article/detail/2092</link>
			<category>読み物</category>
			<title>吉田恵子さん</title>
			<description>&lt;p&gt;パッチワークキルト キルター 作家 吉田恵子  キルトジャパン  吉田恵子さん【プロフィール】1979年NHKカルチャースクールでパッチワークキルトを学び始める。1985年「AIQAキルト・フェスティバル」（テキサス州・ヒューストン）出品。「キルト‘85」（スイス）招待出品。「キルト・イン・ジャパン’85」入選。1989年「女流クラフト作家展」出品。「AQSキルト・フェスティバル」（ケンタッキー州・パデューカ）出品。「ザ・グレート。アメリカン・キルト・フェスティバル2日本の宝石達」（ニューヨーク）特別出品。1990年「キルト展」（ニューイングランド・キルト美術館）出品。アトリエ「ウェーブK」主宰。「時のうつろい」1998年制作　156×192cm強い夏の日差しの中で咲くのうせんかずらに惹かれて、いつかはキルトにと思って作った作品。左側は咲いている様子を、右側は冬枯れの枝を表したかったのだという。庭に植えて観察してみると、冬になっても緑の葉は延々と元気で力強く冬越えする姿に圧倒された。そこで右側のデザインは夏の面影をグレーで、周りのフィルムは時の流れを写真の形で表現している。端布を素敵に見せたくて始めたパッチワーク吉田さんは、幼稚園の先生を3年間した後、に２４歳で結婚。それから一般募集で見つけたテレビ局のアルバイトの教育係、お花の先生、そしてキルトの先生と、見事に自分の適性に即した人生を歩んでいる。「おしゃべりは、ちっとも苦にならないんですよ。キルトの授業も、その日の話の枕が長すぎて『先生、そろそろキルトを始めましょうよ』と生徒に言われたりして（笑）。でも、キルトは楽しくやるのが私のモットー。笑いの中で、きちっとしたものも学ぶから楽しいんですよね」キルトとの出会いは、30歳を過ぎてからだった。その前に幼稚園の先生をしながら、洋裁学校に通った。洋服作りで出る端布をはいでみたが、どうも素敵に見えない。1枚1枚は素敵な布なのになぜだろう、というはがゆさが残った。30を過ぎ、そろそろ子どもが欲しいと考えて忙しいテレビ局の仕事を辞めて、家庭に入った。その頃「あなたの持っている残り布が素敵に変身します」というキャッチフレーズで目に止まったのが、NHKカルチャースクールのパッチワーク教室だった。行ってみるとみんなパッチワークについて詳しいし、器用な人ばかりにみえる。これはかなわないと、1年ばかりはいつやめようかと思っていたそうだ。でも、ひとつずつ課題をこなすうちに辛抱強さも培われ、知らぬうちにキルトにはまっていた。お茶とお花がキルト制作のバックボーンに「やる前は考えるけど、いったんやり始めたら長く続く」という性分の吉田さん。お茶とお花も長らく続けていたが、そこで育った美的感覚はキルトの世界でも貴重なバックボーンとなった。お茶は、母の薦めで小学校6年生から習い始め、十年間稽古に通った。とりたてて一生懸命覚えようとしたわけではないが、茶道のお手前というのは、無駄なく美しく合理的にできている。そんな所作が、子どもの頃から身についたからか、お茶碗はほとんど割らないという。「こども心にも、お茶の稽古の時間は、時が止まるように感じましたね。鉄瓶がちんちんなる音や、袱紗を払う密やかな音しか聞こえない、とても静かな時間が子どもにも心地よかったのでしょうね」そして吉田さんの大好きな、お花。19歳から始めた花月流を28歳で教え始め、45歳でキルト1本に絞るまで、平面分割、色彩学などの総合的なセンスの多くを、お花の世界で学んだ。「西洋の美はシンメトリーですが、日本はどこかバランスを崩した美ですよね。そして、西洋が足し算の美とすれば、日本は無駄なものをどんどん削っていく引き算の美です。私のキルトも、一見洋風な作品ですけど、アメリカに持っていくとすごくエキゾチックと言われるの。やっぱり、日本人の中に脈々と流れてきた美意識が、自分の中にも存在しているのだと思いますね」イメージをつかみ、タイトルを決めて突っ走る吉田さんが花の中でも一番好きなのが、バラとチューリップ。取材の日も大輪のカサブランカに組み合わせて、ことに好きなオレンジがかったベージュのバラが生けてあった。バラの純粋さや可憐さは百態変化で、見る人を魅了せずにはおかないものがあるが、チューリップは花材として惹かれたことは一度もなかった。それが俄然興味深いものになったのは、花弁がギザギザになった珍品種は、もとはウイルスの侵されたものだったとか、黒いチューリップに球根は番人がいたというくらい貴重だったという歴史やいわくを知ってからだ。それからドレスデンのアンティークプレートなどを気を付けて見ると、実にさまざまな表情のチューリップがあり、ますます興味が湧いてきた。 アトリエのあちこちに置かれた、お宝箱や家具の中や上にはイギリスやアメリカなど外国旅行で買い求めたという、アンティークなレースやリボン、ボタン、陶器などがいっぱい詰め込まれている。─本文より一部抜粋─　キルトジャパン2002年3月号より
 キルトジャパン編集部       &lt;/p&gt;&lt;p align="right" style="color:gray"&gt;掲載日時:2023/08/21 00:00&lt;/p&gt;</description>
			<pubDate>Mon, 21 Aug 2023 00:00:00 +0900</pubDate>
			<pubDateShort>2023.08.21</pubDateShort>
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			<link>https://www.tezukuritown.com/contents/article/detail/2090</link>
			<category>読み物</category>
			<title>山口怜子さん</title>
			<description>&lt;p&gt;パッチワークキルト キルター 作家 山口怜子  キルトジャパン  山口怜子さん【プロフィール】1944年大分県大山町に生まれる。1966年福岡県三井郡北野町の天保年間から続く造り酒屋に嫁ぐ。1970年古布を使って、刺し子風の継ぎ合わせを始めるが、独自の尺貫法を用いる。1980年「藍公房」を主宰。1982年アメリカのナショナル・キルト連盟レディバグ主催のキルト大会に招待され、6点を紹介。全作品が入賞、内3点がブルーリボン賞を受賞。ワシントンDCで開かれた駐米大使主催の日米協会レセプションに招待出展。2000～01年日本巡回展(主催・朝日新聞社)。「藍公房」を「矢口玲子デザイン室」に改称。著書に『花裂あわせ』（日本ヴォーグ社刊）、『21世紀へ語り継ぐ山口怜子の世界』（朝日新聞社）など。山口怜子さんが、この江戸天保年創業の老舗、庭の鶯酒造に嫁いでいできたのは、21歳の時。「お嬢様のように何もしなくていい」という最初の口上は、家の中の切り盛り、育児、接客など現実の暮らしの前では吹き飛んだ。江戸時代の建物という造り酒屋の家屋には、時代の埃が積もった黒く太い梁がくすみ、二階は古い箪笥や長持ちなど、道具類で埋まっていた。そんな家を片付けていた中で見つけたのが、ひとつの小さな柳行李。中には、この家に仕えた女性たちがお針仕事の稽古で使ったものだろうか、傷んだところを細かい針目で繕った布などが、丁寧にたたんで入っていた。「そのボロと言ってもいいような布に、心を揺さぶられたのです。特にちくちくと繕った針目のひと針ひと針に、こうしてものを大事にしながら暮らしてきた人たちの質素でありながら豊かな心を感じ、全部使って残そうと思いました」ここに山口さんのパッチワークの原点がある。どんなに汚れ、傷んでいても、それぞれの布には人の思い出があり、歴史がある。それを我が家の次の世代に残しておきたいという願いが、つぎ接ぎになった。どこの家にも捨てきれず押し入れにしまってある洋服や布類がある。それらは歳月とともに汚れたり傷んだりしているが、まさしく日本の家族の歴史を染み込ませた布である。ひたすら捨てられたり燃やされたりするのを待っていた布たちに新たな息吹を吹き込み、文字通り我が家だけのかけがえのない宝物として残す。山口さんのキルトの立脚点はここにある。「先生は『買った布は持ってこないでね、思い出がないからデザインが難しいの。家で着古した洋服を持ってきて』としつこく言われます。そして、布にまつわる話を聞かせてと。みんなが思い出を語ってくれることがすでにデザインの半分を担っているのよと」と助手の立木さんが話す。そしてもうひとつ、山口さんがこだわるのが、日本古来の規矩法による採寸である。古来日本の神社仏閣を建てた計算単位は、着物にも用いられており、その布を使い切り、日本建築との調和を求めれば、必然的に規矩法に拠るべきというのが、山口さんの考えなのだ。そこで最初、宮大工の人に規矩法の出し方を習って、独自のパターンを作っていた。「私のキルトは、日本の規矩法によるものです。私にとってとても重要なことなのです。これを少しでも次の世代に伝えることができれば嬉しいです」─本文より一部抜粋─　キルトジャパン2004年1月号より
 キルトジャパン編集部       &lt;/p&gt;&lt;p align="right" style="color:gray"&gt;掲載日時:2023/07/28 00:00&lt;/p&gt;</description>
			<pubDate>Fri, 28 Jul 2023 00:00:00 +0900</pubDate>
			<pubDateShort>2023.07.28</pubDateShort>
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			<title>世界で活躍する日本人を紹介 vol.1</title>
			<description>&lt;p&gt;キルト キルター パッチワークキルト 海外  キルトジャパン  日本ではキルティングを自分でするのが一般的ですが、アメリカではキルトトップを作ったら専門の人にキルティングを頼む、という事がよくあるそうです。アメリカでキルティングの受託の仕事をしているHiroko Meyersさんに、お話を伺いました。 キルトを学びに、アメリカへ Hiroko Mayersさんは25年ほど前に日本でキルトを習い始めました。数年キルトを学んだ後、キルトを本格的に学ぶためにアメリカへ留学し、その後ずっとアメリカ・オハイオ州に住んでいます。住んでいるのは、アーミッシュ村へ車で一時間半ほどの場所で、冬はマイナス15度になるほど寒い地域です。 Hirokoさんのお仕事Hirokoさんは14年ほどキルトショップで働いたのち、独立して、「Hiroko’s Longarm Quilting」という名前でキルティングを受託する仕事を始め、3年がたちます。自宅の地下のアトリエで、お客様が持ち込んだキルトトップと裏布にアイロンをかけ、3層にしてしつけをしてHandi Quilter 社のロングアームミシン「Infinity 」を使ってキルティングをします。毎日8時間から10時間、ほぼ休みなくお客様のキルトにキルティングをしています。広い範囲をキルティングできるタイプのロングアームミシン「Handi Quilter 」。キルトを動かすのではなくミシンを動かしながらキルティングするタイプのミシンです。アトリエにはHirokoさんが作った作品やキルティングサンプルなどが飾られています。 キルティングする時は、図案を事前に考えるより、実際に手を動かした方がドラマティックな仕上がりになるので、インスピレーションを大事にしています。ルーラーも使いながらお客様のキルトトップに合わせたデザインを考えます。ルーラーは丸やカーブ、星型など色々な形があります。リピーターのお客様には、前とは違う新鮮なデザインを心がけていて、新しいデザインにチャレンジするために何度も紙に書いて練習することもあります。Hirokoさんが受託してキルティングした一例。どれもキルトのパターンやモチーフが映えるようなキルティングラインです。   暮らしに寄り添う、身近なキルト作りアメリカでは、キルトは生活の中でとても身近なもので、「お母さんやおばあちゃんが作っているから。生活に必要なものだから。」と、気軽にキルトを作る方が多いです。例えばベッドカバーは布団のようなもの。またキルトを作ってオークションに出して売上金を寄附したり、でき上がったキルトを病院に贈る人もいるそうです。キルトを作ることが生活の中の一部となっていることもあり、お客様の縫う技術はまちまちで、ゆがんだりほつれたりしているキルトを依頼されることもあります。そのような時には、できるだけきれいに見えるように補修したり、波打った部分が目立たなくなるようなキルトラインを考えます。お客様から「私の作ったキルトトップが、こんなに素敵になった！」と思ってもらえるように、日々工夫を重ねているそうです。 キルティングの仕事をするHiroko Mayersさん。 ロングアームミシンの下糸を巻く専用の機械。 糸はコーン巻（3000～6000ヤード）で、さまざまなデザインに対応できるよう、たくさんそろえています。 Hirokoさんのご自宅の庭にはキルトの看板を飾っています。 自宅のベッドルームとダイニングルーム。たくさんのキルトが生活の中で使われています。３Dのパターンで作ったベッドカバーとクッションは旦那様のEricさんが作った作品です。 Hiroko MayersさんのSNSInstagram https://www.instagram.com/hirokomeyers/Facebook https://m.facebook.com/HirokoLongarmQuilting/ この記事は「キルトジャパン2021年4月号春」に掲載されました。
 キルトジャパン編集部       &lt;/p&gt;&lt;p align="right" style="color:gray"&gt;掲載日時:2022/06/21 00:00&lt;/p&gt;</description>
			<pubDate>Tue, 21 Jun 2022 00:00:00 +0900</pubDate>
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