武部妙子さん

武部妙子さん 1942年、京都の呉服商の家に生まれる。1964年、京都女子大学文学部教育学科卒。1972年インテリアファブリックのデザインおよび制作を始める。1979年京都のギャラリー「草」にて第1回個展「布と遊ぶ展」。1980年フランスE・D・S社より第一作品集発刊。『LE MATELASSE formes et couleurs』。東京銀座・大黒屋ギャラリーにて出版記念個展。以後、個展、サークル展、招待展数回。1981年より「タケベキルトサークル」でレッスンを始める。1990年雄鶏社より「幸せいろのパッチワーク」発刊。NHK教育テレビ「婦人百科」「おしゃれ工房」に講師として出演。1998年キルト博(於・東京国際フォーラム)の『日本のキルトアーティスト123人展』に招待出品。以後全国を巡回。2000年より2002年まで、日本ヴォーグ社「キルトジャパン」誌にキルトとイラストとエッセイのページ『紳士のキルト』を連載。パレスチナ婦人の生活と自立を助ける手仕事の会NGO地に平和「兎の会」を支援している。タケベキルトサークル・タケベキルトクラブ主宰。

作った人の息遣いが聞こえ、手の温かみが感じられるキルトを生活の中で使うことこそ、武部さんの求めるものである。作り手と使い手がどちらもそのキルトを愛で、生活者とともにキルトも呼吸しながら生きるという連なりが、キルトの有り様ではないだろうか。 「二千年も前に、海の底に沈んだ船から引き上げられた壺も、新品より人が使い込んだものの方が心を動かすと聞いたことがありますが、キルトも同じだと思いますね。どんなに稚拙でも、人の手で作られ、人が使ってきたものはリアルな感動があります。人が生活の中で愛着を持って使ってくれたキルトは、その命がせいぜい百年くらいとしても、全うしたと言えるのではないでしょうか」 武部さんもキルト作りの初期には、アートを意識して作った時期があった。しかし、年月とともに生活の中に生かされて、愛用されるキルトを目指すようになった。アーティスティックなキルトを否定するつもりは毛頭ないが、アートのためのアートは好きではない。  詩が好きで、刹那の輝きにとても惹かれる自分だからこそ、キルトは現実世界に引き止めてくれるものだと、武部さんは言う。 「キルトは、人の人生の心模様を糸で綴っていくものだと思います。そして、あれもこれも表現したいけれど、いかにそぎ落としてシンプルに作っていくかという作業ですね。それは、人があの人生もこの人生もいっぱいは生きられなくて、ひとつに集約していかざるを得ないのと、似ていると思います」 最近、ものを作るとはこういうことかと、少しだけ分かってきたと言う武部さんにとって、キルトは毎日ご飯を食べるのと同じように、なくてはならない生活の詩だという。人がピアノや語学を毎日欠かさず勉強するように、針と糸を持って縫い続けることが、自分の明日を作ることなのだと。 ―本文より一部抜粋― キルトジャパン2004年3月号より
  • 「春光」1995年制作 160×90cm
    春の淡い光の中で、輝く木蓮を見上げた時の一瞬の歓びをタペストリーで表したもの。ログキャビンバリエーションはコットンプリントに加えて、紬とアジアの手織り木綿を使用。上部と右側に配置した三角形のマゼンタ色がさりげなくアクセントになっている。
  • 春秋額・・「花霞」「山紅葉」 2001年制作
    プリーツワークと自称している、ストリングパッチで四季を表現した作品の中の2点。使用布は縮緬、綸子、襦袢地、地紋絞り、地紋起しの着物地など。写真右は「花霞」、左は「山紅葉」。
  • 「マグノリアの春」 1990年制作 170×195cm
    1991年3月号キルトジャパン「人気作家が自ら選んだ自身の一作」で掲載された作品で、制作から多くの年月を経て優しい雰囲気に色褪せている。枝いっぱいに花開いた木蓮の大木に、静謐な春の息吹を表現。背景は2種の天竺でピースワーク、花びらは3種のサテン、枝はバイアス布、周囲のログキャビンバリエーションはシーチングと、中国で入手したシルクが使われている。
  • 「賑やかなお囃子」 2003年制作 165×135cm
    著者本「素敵なあなたへ」の作品制作で残った“究極のハギレ”を使い、四角つなぎにしたタペストリーは、お蔵入りになっていたファンをアレンジして四隅に配置。上下のシルクはサンフランシスコの布屋で見つけたきめの細かいタフタ。繊細で立体感のあるキルティングは19世紀のトルコ文様から起こしたものである。

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