斉藤謠子さん

斉藤謠子さん 1977年チャックスパッチワークスクール入学。1978年渋谷東急ハンズパッチワーク教室講師就任。1985年キルトパーティ(スクール兼ショップ)をオープン。同年市川市文化会館にて第一回キルト展開催。1988年日本ヴォーグ社講師就任。1989年ニードルワーク日本展会員に選出される。1990年NHK文化センター講師就任。キルトパーティ通信教育開始。NHK教育テレビ「婦人百科」初出演。1991年日本ヴォーグ社通信教育開始・講師就任。1993年NHK「おしゃれ工房手芸フェスティバル大阪展」を皮切りに全国各地の手芸フェスティバルに毎年参加。NHKテレビ「おしゃれ工房」出演。朝日新聞社主催「日本のキルト20人展」出品。1995年朝日カルチャーセンター就任。著書に『ワンパッチ、ツーパッチ、スリーパッチのパッチワークキルト』(日本ヴォーグ社刊)、など多数。 関連本 斉藤謠子 わたしのキルト斉藤謠子 お気に入りの布で作るキルト

手芸の得意だった斉藤さんは、結婚したての頃、洋裁学校に通い始めた。「布を裁断すると切れ端が出ますが、布の大好きな私はそれをごみ箱に捨てられなくて、友達の分までもらって集めていたんです。小さな布切れを、よく見えるようにガラスのビンに入れて眺めていました。その当時はパッチワークの本もなくて、映画で見たベッドカバーなどをまねて、四角つなぎに縫っていただけでした」 そのうちアメリカ建国二百年を記念して、『アンアン』などの雑誌でキルトが紹介され始めた。グラビアを飾る、アメリカの家の垣根に干してあるパッチワークキルトの、なんと素朴で暖かくて愛らしいこと! 一度にキルトに心惹かれてしまった。 野原チャックさんの本から「チャックスパッチワークスクール」を知り、すぐに入学を決意。入学一年ほどで野原三輝さんから実力のほどを認められ、東急ハンズに教えに出るようになったことを考えれば、斉藤さんの才能はやはり群を抜いていたに違いない。 スクールでの、忘れられない思い出がある。入って一番最初の作品を三輝さんからのアドバイスで大胆にデザインしていたら、チャックさんから「キルトはもっと素朴でやさしいものでいいのよ」と言われた。確かに初めのデザインの方が見栄えがしたが、実際作ってみると、いつ見ても飽きず温かいキルトに仕上がり、大いに納得できたと言う。 「私が常に思っているのは、キルトは人がどう思ってくれるかではなくて、自分がこれと思うものでいいということ。私はキルト自体が自己主張しすぎるようなのは、好きじゃないのです。部屋に置いた時も圧迫感がなくて、例えばそれにくるまって寝るといい夢を見られるような心地よいベッドカバーとか、そんなものを作りたいという思いは、初めからずっと変わっていません。」 斉藤さんの作品は派手さはないが、細やかな色使いが深みのある味わいを醸し出している。そして、素朴で温かくて、その上に抑制の効いた知性を感じさせる。と言ってもそれはあくまで作品の奥底に、かすかに感じられるというところが絶妙だ。洗練されたアメリカンカントリーとでも言おうか…。 ―本文より一部抜粋― キルトジャパン2000年3月号より
  • 定評ある斉藤さんの小もの。独特の布使いやパターン使いもさることながら、機能性や堅牢性が、何度も繰り返される試行に裏打ちされている。縫いぐるみなどもイメージする立体のまろみの追求のために、綿を詰めてはほどき、の目に見えない徹底した格闘があっての完成。
  • 半端でないはさみの数々。布1枚切る時、2枚重ねたものを切る時、と様々なオケージョンで用いるはさみは違ってくる。
  • 文鎮、指抜き、糸切り、ピンクッションなど、使い勝手にこだわった道具のひとつひとつ。
  • 『ななかまど』1990年制作 200×173cm
    「日本の美」をテーマにしたキルト展の課題に取り組んで仕上げた作品。パイピングの黒の別珍以外は、U・S・Aコットンをふんだんに使ってイメージを表現。“見せる”ことを初めて意識してデザインした作品だったと語る。