(10)カリキュマクロス
2019/01/30 00:00
1816年、アイルランド北部モナハン郡の牧師、ポーター夫妻は、新婚旅行でイタリアを旅しました。針仕事が得意だったポーター夫人は、その時手に入れたアップリケレースを参考にして、飾り部分にダーニングステッチやかがりを入れたレースの作品を作りました。これがカリキュマクロスレースの始まりと言われていますが、「カリキュマクロスレース」と呼ばれるようになったのは、1872年にダブリン展示会で初めて作品が展示されてからのことです。 カリキュマクロスレースの技法は、まず、図案の上にネット布とオーガンジーを重ねてしつけをします。次に図案に沿って芯糸を渡しながらコーチングステッチを入れていきます。そしてカットワークの要領で、オーガンジーを切り落とすと下のネット布にオーガンジーの白い部分が模様として残ります。 私がモナハン郡のカリキュマクロスレース・ギャラリーで、レース作家のマーティーさんからレクチャーを受けたのは20年も前のことですが、2011年に英国王室のウィリアム王子との挙式の際、キャサリン妃が着ていたウエディングドレスに、バラ、あざみ、水仙、シロツメクサの模様のカリキュマクロスレースが使われていたので、近年また注目を集めています。 A:布端のループが印象的な衿 B:アンティークレース。細い糸でかがっている C:リボンの輪の中もステッチしている D:鳥の柄は珍しい 毛糸だま 2014年夏 162号掲載
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(9)クンスト
2019/01/30 00:00
編み物には衣類など実用品として編まれるものと、装飾品として編まれるものがあります。今回ご紹介するクンストストリッケンは、直訳すると「芸術編み」という意味で、室内装飾品としてドイツで伝えられてきた、棒針による華麗なレース編みです。かけ目でできる透かし模様が主体で、さまざまな編み目の配置とその変化によりデリケートな柄が構成されます。中心から編み始めるものが多く、1つの模様を何回かくり返して編み、円形、楕円形、四角形、六角形など色々な形を作ります。花柄や幾何学模様を自由に創作して編む楽しさがあり、編み上がりは繊細で、しかも豪華でまさに「芸術編み」と言えます。 ドイツには、クンストストリッケンを芸術にまで高めたとされる、ヘルベルト・ニーブリング(1903~1966)という男性デザイナーがいました。ニーブリングの作品は年を重ねるごとに繊細さを増していったと言われています。晩年には細い200番手の綿糸で1メートル四方のテーブルクロスを編み上げ、それは指輪の穴を通過するほどだったそうです。 2014年1月に、日本では18年ぶりになるクンストストリッケンの本「芸術編みクンストレース」を出版しました。初級・中級・上級と作品のバリエーションを豊富にして、棒針編みのできる方なら誰でも編むことができるようにと心がけました。この本を皆さんに楽しんで使っていただければ幸いです。 1つの模様を4回くり返すと正方形になる 毛糸だま 2013年春 161号掲載
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(8)ヘアピン
2019/01/30 00:00
ヘアピンレースは髪に刺すピンを使って編んだのが始まりと言われています。ドイツではフォーク状の器具を使って編まれたのでフォーク編みとも呼ばれています。かぎ針で編むクロッシェレースの一つで、Uの字のヘアピン編み器に糸を巻きつけ、中央の細編みが伸びないように編み器を回しながら大きなループを作り、細長いひも状のブレードを作ります。編みあげたループをかぎ針で束ね、長方形や円形、半円形など色々な形につないで仕上げるレースです。 起源ははっきりしませんが、今から100年以上も前の英国のビクトリア時代に、貴婦人達が楽しんでいたという記録があります。1887年に英国で出版されたニードルクラフト事典では「ヘアピンのような器具を使って作るレースで、イミテーションの骨で作ったものも使われる。」と紹介されています。 その後、19世紀後半に盛んに作られるようになり、英国の女性誌「ウェルドンの手芸実用書」にはヘアピンレースの編み方が掲載されました。また、20世紀初期のニードルワーク雑誌には、ヘアピンレースの作品として衿、ボンネット、ドイリー、ハンカチーフ、エプロン、キャミソール、縁飾りなどが紹介されています。 昭和初期のヘアピン編み器 ヘアピンレースは編み器の使い方さえマスターすれば、技法は簡単で、糸の使用量も少なく、短時間で編むことができるので、かぎ針編みのできる人なら誰でも楽しめるレース編みです。 毛糸だま 2013年冬 160号掲載
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(7)タティング
2019/01/30 00:00
タティングレースは結びの手芸で、1本の糸を芯にして、シャトルに巻いた糸でこの芯糸に結び目を連続して作るレースです。初めはコードやしぼって輪にした結びリングを別々に作り、布に縫い付けて装飾として使っていました。しぼった輪の形が目を思わせるので、イタリアでは目を意味する「Occhi」として知られています。また、フランス語からとった「Frivolite」(価値のない編み物)という言い方もありますが、それは表面的な装飾品にすぎないものということでしょう。 1850年イギリス人のリエゴ夫人が編みながら針を使ってリングとリングをピコットでつなぐ方法を考案しました。さらに1864年には2個のシャトルを使ったブリッジの作り方を発表し、デザインの多様性が急激に広まりました。1つの結び目から生まれる清楚で優雅なレースは、エレガントな手芸と言われ、18~19世紀に女性貴族の間で大変もてはやされ、教養として習うものだったそうです。 日本には明治初めに他の西洋文化と共に伝わり、大正から昭和初期には穴糸でショール、袋物などがさかんに作られ、女学校の教材としても取り入れられて大流行しました。 シャトルという小さな一つの道具で作るタティングレースは、場所をとらず、何時でもどこでも手軽にでき、数少ない基本さえ覚えれば自由に変化のある図案を編み出せる「自由レース」と呼びたいものです。 毛糸だま 2013年秋 159号掲載
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(6)バテン
2019/01/30 00:00
バテンレースはテープで模様を作り、糸で空間をかがってレースに仕上げるので、テープレースとも呼ばれます。また、ブレードレース、バッテンベルグレースとも言われます。多くの場合、機械で織ったテープを使いますが、手で編んだテープを使う事もあります。 そのルーツを遡ると、高価なニードルポイントレースの代用品として16世紀末にオランダで考え出された、ルネッサンスレースにたどり着きます。19世紀後半から20世紀初めには17~18世紀のレースを複製したレースが盛んに作られ、文化レース、モダンレースと呼ばれました。 バテンレースと命名したのは、アメリカ人のレースデザイナー、サラ・ハドレー女史と言われています。1893年に彼女は「バテンレース」と名付けたテーブルリネンのセットを博覧会に出品しました。1880年代にドイツの貴族バッテンベルグ家と英国王室の間に結婚式が2回もあったため、バテンレース(バッテンべルグレース)と言うネーミングが当時の人々の関心を集め、以後バテンレースと呼ばれるようになったということです。 バテンレースが日本に伝えられたのは、1892年横浜にあった米国貿易商が日本人の手先の器用さに着目し、作り方を教えたのが始まりとされています。その後、新潟県高田に伝わり、冬の内職として広まりました。現在でもこの地域はバテンレースの産地として知られています。 毛糸だま 2013年夏 158号掲載
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(5)テネリフ
2019/01/30 00:00
テネリフレースは、あらかじめ糸を渡しておき、その糸を土台として結んだりかがったりして作るレースです。糸の渡し方によって四角形や帯状に作ることもできますが、車輪形(円形)が多く、中心から糸を放射状に渡すので、その形から太陽を意味する「サンレース」(スペイン語では「ソルレース」)とも言われます。 もともとは16世紀にアフリカ北西岸沖のスペイン領カナリア諸島に属するテネリフェ島で生まれました。当時は布にランニングステッチで円を描いてから糸を渡してレースを仕上げていました。17世紀になると、ランニングステッチの代わりに固いピンクッションを使い、円形にピンを打って糸を渡して土台を作ることが考えだされ、この技法が修道者や旅職人によって南米に伝えられて現地の住民に普及したのです。 南米に渡ったテネリフレースは、ボリビアンソルレース、ブラジリアンソルレース、ぺルビアンソルレースと地域の名で呼ばれ、パラグアイではニャンドゥティ(現地の言葉でくもの巣の意味)と呼ばれています。色は白糸が主体ですが、現代のレースには原色使いの作品も多く見られます。日本には明治の初めに伝わり大正から昭和初期に盛んに作られました。コッポ編み、花カード等はテネリフレースと同種類のものです。テネリフレースは最初の糸の渡し方、結び方とかがり方の組み合わせで自由に創作できる、楽しいレースの技法です。 毛糸だま 2012年春 157号掲載
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(4)アイリッシュ・クロッシェ
2019/01/30 00:00
アイリッシュ・クロッシェレースは、アイルランドで始められた立体的なかぎ針編みのレースです。13世紀から17世紀に盛んに作られたボビンレースやニードルポイントレースのイミテーションレースで、ニードルポイントレースの特徴であった浮彫りのような感じを出す編み方が工夫されました。起源ははっきりしていませんが、18世紀後半から19世紀にかけて始まったと言われています。アイルランドの南の地域で編まれるモチーフは大きく荒く、北の地域では小さくて繊細なモチーフが、細い糸で編まれました。その技法はやがてヨーロッパだけではなく、アメリカ、オーストラリアにまで広がりました。 アイリッシュ・クロッシェレースの編み方には、バラやデージー等の花びらを重ねて立体感を出して編む方法と、パディングコード(芯糸)を編みくるんで立体感を出す方法の二通りがあります。パディングコードは編み糸よりも太い糸を二つ折りや四つ折りにして使います。 モチーフの図案はアイルランドの国花であるシャムロック(三つ葉のクローバー)を始めとしてバラ、百合、あざみ、しだ、つる草等の植物が多く、蝶、とんぼ、またアイルランドの象徴でもあるハープもモチーフになっています。 かぎ針で編むアイリッシュ・クロッシェレースは、数あるレースの技法の中でも比較的親しみやすい技法と言えるのではないでしょうか。 毛糸だま 2012年冬 156号掲載
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(3)ボビン
2019/01/30 00:00
ボビンレースはボビンに巻いた糸を組み合わせて構成するレースです。古くは3世紀頃のものと思われる糸を巻いたボビンが、エジプトでコプト人の墓陵から発見されています。パスマンと呼ばれるブレードレースから技法が始まり、13世紀にはフランスで商売として成立していました。15世紀にはピロー(枕形のレース台)が発明され、ベルギー、フランスなどで組まれるようになりました。当時は糸を切らずに長く組み続ける方法でしたが、17世紀には途中で糸を切る技法が考えられ、より自由で独創性に富んだ作品が作られました。手で組むレースは時間がかかり高価なため「糸の宝石」と呼ばれることもあります。19世紀になり、機械レースが発明され大量に生産されるようになると、庶民にも手が届くようになりました。 ボビンの組み方は地域によって違い、フランス、ベルギーなどではクッサン(平台)で糸を巻いたボビンをころがす様に組みますが、ドイツ、チェコなどではピローでボビンを握り込んで組みます。 2012年5月16日から6月3日まで、ドイツ中央西部のフリッツラーの郷土博物館で「針の会」のレース展示会を開催しました。レースの伝統のある国で、(公財)日本手芸普及協会レース部門での技術が受け入れられるかどうか評価が気になりましたが、好評でほっとしました。ドイツでは、レースの町として有名なアンナベルク ・ブッフホルツにも行きました。この町にはレースのコンクールがあり、今も新しいパターンが生まれ続けています。公民館ではボビンレースの基礎を学んでいる子供達と出会い、伝統を残すことの意義を見たような気がしました。 毛糸だま 2012年秋 155号掲載
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(2)フィレ
2019/01/30 00:00
フィレレースとはフランス語で網のことで、その名前が示す通り、魚の網のような編み目のレースです。もともとは魚や鳥を捕獲する用具を作るために考え出された技法で、古くは古代エジプトの墓陵から網目状に糸を結んだものが発見されています。レースとして作られるようになったのは13世紀頃です。当時はイタリアの漁師の妻達が頭にかぶるネットなどを作っていました。14世紀には服飾品としてヨーロッパ各地に広まり、15世紀に入ると、作った網を土台にして刺しゅうで模様を入れたものが、大聖堂や教会の祭壇飾りとして大切に使われました。16~17世紀以降は婦人達の手芸として広がりを見せています。スコットランド女王メアリー・スチュアート(1542~1587)や、フランス王妃カトリーヌ・ド・メディシス(1519~1589)は、共に熱心なフィレレースの作り手だったと言われています。 フィレレースの網目は四角または菱形で、中心から円形に編む、四角、長方形など平面に編む等の方法があります。編み目の増減によって地模様や形を作り出すのが菱形のネットです。菱形のネットはレースの中でも一番透けるレースで、垂れ下がる美しさを持っています。さらに、ネット地を土台として刺しゅうをしたものは、アンティークレース、フィレギピュールと呼ばれます。 なかなか目にすることの少ないフィレレースですが、ネットと刺しゅうを組み合わせることによって、無限の可能性を持つレースの技法と言えるでしょう。 毛糸だま 2012年夏 154号掲載
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(1)マクラメ
2019/01/30 00:00
糸を撚ったり編んだりして透かし模様を作るレースは、世界各地で色々な技法や模様が考えられ発達してきました。多くの技法の中から、今回は結びのレースと呼ばれるマクラメをご紹介します。 マクラメは道具を使って編むのではなく糸を指で結んで模様を作りますが、レースの技法の一種と言われています。その歴史は古く、原始時代には植物繊維で織物らしいものが作られ、その糸端の始末の方法として考えられました。6~7世紀には「ミイラクロス」と呼ばれるミイラを包む布が作られ、後に発掘されています。 マクラメと呼ばれるようになったのは17世紀で、当時優れた文化を持っていたアラビア(アラビア大陸の西南アラビア半島一帯)で盛んに製作されました。ラクダの鞍布とその房飾り、また麻袋の口をしばる紐と飾りフリンジなどが金糸、銀糸や宝石等を使って作られたそうです。 日本でもマクラメの歴史は古く、正倉院御物や鎧、兜などに色々な技法が見られます。身近なものでは、縄のれんやミサンガにもマクラメの技法が使われています。 アラビアで発展したマクラメは、その後ヨーロッパ各地に広がり、現在は日本のみならず、アメリカ、フランス、イギリス、中国、台湾、フィリピン、南米などでも多く作られています。 毛糸だま 2011年春 153号掲載
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