社長エッセイ ―手芸 この素晴らしき世界

vol.7‐50回目を迎えた日本ホビーショーで振り返るNOW&THEN

vol.7‐50回目を迎えた日本ホビーショーで振り返るNOW&THEN

 この5月8日~10日に東京ビックサイトにて日本ホビーショーが盛況理に開催された。今回で50回目となる。
 当社は1回目からの出展ということで他の2社と表彰を賜った。

(第50回2026日本ホビーショー)

ホビーショー チラシ

 
 実は私が日本ヴォーグ社に入社して50年が経つのでまさにホビーショーと歩みを一(いつ)にしている。そこで今回はこの50年をちょっと振り返ってみたいと思う。

 まずはその頃は、「ホビー」という言葉はほとんど耳慣れない言葉だったことをお伝えする。
 
 社団法人日本ホビー協会が所管の(当時)通産省にその名称での設立手続きをしようとしたところ「待った」がかかったというほどだ。役所の方ほうではその聞きなれない言葉に違和感があったに違いない。

 
 そこで発起人の一人で海外通の方がアメリカでの余暇社会の到来、それによって様々な趣味のマーケットが広がりを見せている-ということから、これから日本でも「趣味の世界=ホビー」の時代が来る-ということで役所も納得したと聞く。


 
 実際アメリカでは「全米ホビーショー」が盛況に行われていて、1970年代~80年代には日本からも視察ツアーが組まれ、アメリカでの手づくりマーケットの動向や商品仕入れに各社熱心だった。

「アメリカで流行れば日本でも」はホビー(手芸)の世界でもある程度正解だったからだ。それまで編み物、刺しゅう、ソーイングが主流であり我々の目にもアメリカの様々な手づくりアイテムはとても新鮮だった。

 
 ただアメリカでのアイテム数は多岐にわたったが、DIY(Do it yourself)の志向が日本より強く完成度というより「楽しみ」の要素が高い感じのするものが多かったので、日本人好みのレベルになるかどうかも仕入れや導入の判断基準となった。
 
 
 なおアメリカのホビーショーはトレード(取引)のためのイベントであり日本のコンシューマー向けイベントとは入場料、出展料が大きく違う。そして展示スペースも大きなものが多く1社で10ブースや展示装飾も立派なものばかりだった。ちなみに入場料は当時で一人100ドルほどとかなりの値段だったことを記憶している。

 80年代には日本のホビーショーもすっかり定着し、札幌、名古屋、京都、大阪、広島、北九州、博多とさまざまなエリアで規模、内容は違えども開催されるようになっていった。当社でも出版物のブース出展で営業チームは全国行脚といった感じだった。
 編み物、刺しゅう、ソーイングはやはり定番と言っていいが、時代時代でビーズだったり、フラワー関連、トールペイント、パッチワークといったアメリカでの流行りのもかなり紹介されていった。
 

 
 そして、バブル時代の到来で旅行やアウトドアの志向が高まり、バブル崩壊後は余裕の点で徐々にホビー(手芸)へのまなざしが以前とは変わってきたように思う。「主婦」が段々と少数派になって、時間や経済的な余裕がなくなってきたことも大きな要因だろう。


 その後のコロナ渦で、巣ごもり需要なるものは手芸界にも確かに少しはあったようだが、イベントについては大きな転換をもたらせた。2020年、ホビーショーは設営準備中に東京都から開催中止勧告を受け、多くの出展社は中止と今後への不安で途方に暮れた。
 
 コロナ渦による中止によって、だんだんと採算的に厳しくなってきたイベントはコロナ明け後でもその後再開されなくなったものは少なくない。
 (ちなみに全米ホビーショーはコロナ渦前の2010年代に幕を閉じた。マーケットの縮小とトレードがオンラインになったためだ…)


 その一方で、今日(こんにち)ハンドメイドイベント、ネット上での手づくりマーケット参加者、数千人がブース出展するイベントは各地で盛況である。かつて各地で開催されたホビーショーは東京以外ではほとんど姿を消したことと対称的である。
 

 手づくり手芸がなされてきた時代背景として、「家事」~「実用」~「趣味」~「自己実現」と私は捉えているが最近の編物ブームでは「デジタルデトックス」、いわゆる「デジタル疲れからの自分回帰」と言われている。

 
 イベントもデジタルつながりの出展者とそれを閲覧している人々とのリアルの場として活況を帯びているのだろう。

 
 次なるホビー(手芸)は、人々のどのような欲求にこたえるものになるのであろうか?

(ホビーショー 表彰式の様子)

ホビーショー 表彰式

ホビーショー 表彰盾

投稿者名:瀨戸信昭