郷家啓子さん

郷家啓子さん 仙台市生まれ。セツ・モードセミナーを経てイラストレーターに。1970年パッチワークキルトに出合い、独学で制作を始める。28歳の時、「サンイデー」誌コンテストでグランプリを受賞。その後も「黄金の針」入賞、「キルト日本展」金賞受賞など数々の国内のコンテストで受賞。海外でも、'90年キルトエキスポヨーロッパでの一位入賞を皮切りに、キルトナショナル、フォークアートミュージアム、AQS、MAQSなどのコンテストに多数入賞・入選。'91年から2000年まで毎年ヒューストンのキルトフェスティバル「ハンズオールアラウンド」への招待出品をはじめ、海外各地でのコンテンポラリーキルト展への招待出品。'92年より、アメリカ、台湾、オーストラリア、ニュージーランド、カナダで講習会。アメリカ、ニュージーランド、東京にて個展。'92よりNHK手芸フェスティバルへ参加。'96年よりヴォーグ社キルト塾講師。'79年よりキルトサークルKeiを主宰している。

イラストを描きデザインをしながら多忙な日々を過ごしていたある日、会社の資料雑誌の中に(確か『私の部屋』)パッチワークキルトのクッションを見つけ、いっぺんに魅せられた。「わー、楽しそう」と思ったが専門書もない時代のこと、自己流で四角つなぎのクッションを次々に作った。家中がクッションだらけになりながら、芯にタオルやネル、毛布まで入れて作ってみた。雑誌にそれらしいものが載っていると、もらさずスクラップした。こうして郷家さんの独学キルトの歩みが始まった。1970年のことである。 「ひとりで気ままに作っていただけですから。途中で二年間位、前から興味があった陶芸をやってみたりと、マイペースでつくっていました」 とはいえ、それは今思い返しての言い方であって、実は朝家族を送り出すや否やキルトに取り掛かり、片時も中断する間を惜しんで作り続けた時期も、長らくあった。面白くて面白くて、手を止めるのが苦痛なほど。キルトに魅せられた人なら、理解できるのめり込み方である。 キルトは郷家さんの場合、まず家族が使うためのもので、洗えば洗うほど手に馴染むやさしい風合いが好きだった。ただ、人と違うものを作りたいという思いはいつもあった。 郷家さんのキルトの最も大きな特長は、何と言ってもその突出した色彩感覚である。まるで絵筆を自由に振るったかのような、大胆で楽しい色使い。そしてよく見ると分かる、重層的な色の配置。 「私、色数いっぱいでまとめるのが好きなの。例えば、ブルーにしたければ他の色も入れ込んでいかなくては、味も出ないし楽しさも出ない。要は、バランスを崩して、バランスを取っていく」 「何か一生懸命やっていたら、誰かが必ず見ていてくれる」とは、郷家さんが生徒さんに言い続けていることのひとつだ。もちろん、これは自分への励みの言葉でもある。 とりあえず次に作りたいものが一個あればいいかな、と「無理せず、背伸びせずに、まんまの自分」で生きていく覚悟の郷家さんはじっくりと構えている。 ―本文より一部抜粋― キルトジャパン2001年3月号より
  • 『Start from the beginning』2001年制作 158×162cm
    きれいなパステル色の綿サテンの布がグラデーションで手に入り、落ち込んでいた時に創作した「in the dark」というキルトに対し、「いつまでも落ち込んでいないで気持ち新たに出発しなさい。きっと何かが生まれてくるよ」という思いを込めて作った作品。親交のあるローラとメロディが染めたもの。
  • 写実的な繊細なタッチで描かれた、イラストレーター時代の作品の数々。その時代の流行りのスタイルが懐かしく蘇る。
  • バッグや小もの類については、「仕立ては苦手だから、作るとすれば簡単なもの」という郷家さん。雑誌掲載用に作ることはあっても、自分ではあまり持たないので、誰かにあげたり、譲ってしまったり。
  • 刺しゅう糸やひも、ブレード、リボンなどの糸・ひも類もさまざまな色であふれている。中には、白い靴ひもを染めたものもあり、巾着のひもに使ったりしているとか。ローラとメロディの糸は特に愛用している。

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