三池 道さん

三池 道さん 福岡県生まれ。杉野学園制帽科卒業後、帽子デザイナーの尾越帰東子氏のアトリエに入り、十年間帽子の制作に従事。その後、創設時の「チャックスパッチワークスクール」に入校。野原チャック、故光輝氏に師事。1979年に福岡に帰り、「メモリーパッチワークスクール」を主宰。三年後キルトショップ「キャリコ」を開き、現在に至る。1998年「日本のキルトアーティスト123人」(東京国際フォーラム出展)後に、その作品をアメリカ・スペンサー美術館に寄贈。1999年NHK「おしゃれ工房」に出演。2001年「輝く作家たちのキルト展」(銀座三越)出品。2002年、3年「東京国際キルトフェスティバル」(東京ドーム)出品。現在は雑誌、展示会や教室の作品展などに作品を制作しながら、キルトを介してのボランティアにも協力している。

三池さんがパッチワークの道に入るには、帽子作りというワンステップがあった。杉野学園制帽科を卒業後は自活のため、帽子制作のアトリエに入った。ここで出会ったのが、尾越帰東子さんという先生だった。先生からファッションに関してだけでなく、幅広くいいものを見る目を養ってもらったという。日本橋三越で、高級注文帽子を制作するのは、華やかな世界であった。しかし、時代はオートクチュールから、デザイナーズブランドの既製服へと変わりつつあった。そんな頃、雑誌にキルトスタンド販売の広告を見つけ電話してみると、野原三輝さんから「今度パッチワークの教室を開くから、来てみませんか」と誘われ、「チャックスパッチワークスクール」の一期生となった。「わが人生での二人目の師が、野原チャック先生です。チャック先生とは同じ年でしたが、あのパワーと独特の色彩感覚は、誰も真似できないものでしたね。私の後のパッチワーク人生にも、言葉に尽くせないほどの大きな影響を受けて、感謝しています」三池さんはこうして東京での16年間に、人生を左右する二人の師に出会うことになった。 パッチワークを手で縫うことには、長年こだわりがあった。それが50歳前後の更年期に差しかかり、手で縫うことが辛く感じられた。そこで遅まきながら、ミシンを使ってみようと思った。ミシンのことを知りもしないで、「ミシンはだめ」とは言いたくなかったので、アメリカのキルト作家、マーシャ・マクロスキーさんの講習を受けてみた。その結果はまさに産業革命。「50歳にして、これならもう1度パッチワークをやれると思えました。それどころか、今までの手縫いの10年間を返して、と言いたいくらいでしたよ(笑)。ミシンでスピードアップすることで、自分で自分の作品に飽きないうちに仕上がるという、想像もしなかった世界が開けました」 ─本文より─部抜粋─ キルトジャパン2003年11月号より
  • 『ファーストキルト』1980年制作 230×190cm
    三池さんが東京を離れ、故郷の福岡でキルトを教えたいと帰る折に、お世話になった故野原三輝さん、野原チャックさんやスタッフの人たちから戴いたサインを集めて作ったという、一生忘れることができないファーストキルト。
  • 『モザイク模様』1993年制作 148×148cm
    深い海の中で美しく咲く花をイメージしたモザイク模様のキルト。この作品は、ミシンを使った初めてのキルトで、モザイクのアップリケはミシンで、キルティングはハンドで制作した。
  • 19世紀頃のアンティークキルトは大切な宝物だ。時を越えた、色と風合いに心惹かれる。
  • 教室の棚には、キルトデザインの要素となる洋書、国内のキルト本がぎっしり並べられている。三池さんの30年のキルトワークを物語るかのようだ。

最近見た商品