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(27)完成という形態
2019/01/30 00:00
料理したり、ジーンズの裾上げをしたり。人形だけでなく、自分の手を使って別の形にトランスフォームすることを、「つくる」ことだと私は考えています。 高校へ通う子どもに弁当を持たせるため、登校の2時間前に起きます。1時間で4品作り、30分冷ましてから弁当箱に詰める毎日ですが、実は料理が嫌いです。食べるだけならば、毎度私がつくる必要はないのよね? 人形と違って、食事は外食や家族の家事分担で代替可能なはずなのです。食器を洗うというトランスフォームしそうにない作業も好きではありません。しかし学食の無い田舎の高校には、持参の弁当は必須でしょう。 一つ気がついたことですが、完成した品をキュッと弁当箱に詰めるのは、出来上がった人形を写真に撮るのと同じ達成感があるのです。究極的には弁当箱にピッタリ収まる食品サンプルを詰め、ニッコリ笑って「いってらっしゃい~」と持たせてみたい、なんて暑い夏にはボンヤリ考える次第です。 ダークブルーに少しラメを入れた色調で。しし座とおとめ座の美女と野獣カップルです 毛糸だま 2017年夏 174号掲載
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(26)高校演劇事始め
2019/01/30 00:00
青春にはわかりやすく数字で区切られたリミットがあって、それは主に就学年数で決まることが多いもの。高校野球の三年や大学駅伝の四年、等々。アスリートの輝く晴れ舞台は、毎日プレイするプロ野球とは違って、今しか見られないギリギリ感で胸が熱くなります。 子どもが昨年、高校入学とともに演劇部に入部しました。平日はもちろん、土日も朝からひたすら演劇漬けです。田舎の公立高校で、超地味な演劇部は部費も少なく、衣装は制服かTシャツ、小物も舞台装置もありません。部員は全部で十二名。 数年前に一度廃部になったこともある、その無名演劇部が、昨年はいきなり全国大会出場で二位を受賞してしまう快挙を成し遂げました。テレビや雑誌の取材を多数受け、素敵な先輩たちは颯爽と引退したけれど、今は後輩の息子たちが大変そう。年末の県大会で敗れ、全国大会に行く切符はもう一枚(今年一回)しか残っていません。 あり得ないほどの急展開を見せる子どもの青春模様は、テレビの野球なんかよりもずっと熱いのです。私は今年から、高校演劇をアスリート観戦として楽しむことにする予定です。 酉年にちなみ人形に着せてみた鶏のドレス。羽もすべて手作りです 毛糸だま 2017年春 173号掲載
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(25)生きもの係
2019/01/30 00:00
ふた昔ほど前、ペットショップで働いたことがありました。生来犬や猫が大好きなうえに、田舎育ちで虫も平気。勤めのおかげで変温動物も扱えるようになって、もう無敵! 抱いて撫でるようなペットと違い、ヘビやトカゲは住環境の世話をして観察するだけ。そのうち触っても怒らなくなるかもね、という程度。魚に至ってはもはや絵画を育てるような世界でした。 生き物は隔てなくそれぞれの力と美しさがあって可愛いけれど、目一杯広げた両腕でかき集めるように世話をする命は、どうしてもこぼれ落ちてしまいます。それはまるで無知な鎖のようでした。 自分の家族ができてから、私は『生きもの係』に再び任命されます。まずは子ども。この育ち盛りのホモ・サピエンスは、私に次々と飼育生物を連れ帰ってきました。幼虫、バッタ、カマキリ、カブト、クワガタ、大量のザリガニ。そしてドジョウに金魚にカニ、仕上げは甲羅の欠けたカメ。 小さな腕でも責任を持てば、命の鎖は縁の交わりに変化するかもしれません。「社会人になったら、あなたが飼いなさいよ」と何度も息子に言いながら、私は八年目のカメの顔を眺めています。 豚の3兄弟は頑丈なレンガのお家でクリスマスを過ごします。来年は無事な一年になりますように 毛糸だま 2016年冬 172号掲載
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(30)以心伝心
2019/01/30 00:00
この言葉を初めて知った時、“まるで忍者の呪文みたい”と思いました。「イシンデンシン!」と目を閉じて呟けば、相手に思いが飛んでいくような。そういえば高校生の頃に飼っていたワンコは、夜更けに旅先から帰って来た私をバス停で待っていたことがありました。ちぎれそうに尻尾を振って、三日ぶりに会う私めがけて飛び込んできたのです。なぜそこで待てば主人が帰ってくるとわかったのかは、今も謎のまま。 とても利口な野良犬が懐いてしまった流れで、ワンコは基本放し飼い。散歩に行くよ!と誘っても、たいがいワンコはその道程でフッと山の中に消えて行ってしまいます。あの子はいったいどこで何をしているの?暗い夕景に消えていく足音を耳で追いつつも、犬の自由な世界に憧れさえ憶えました。 今回作ったのは、最近お邪魔したお宅にいたポメラニアン。完全に室内飼いだけれど、その小さな体にも確かに違う世界が存在するのを感じました。言葉は要らないけれど、すべてが伝わるわけではないのよね。その確固たる世界を、人は眩しく仰ぎ見るのです。 毛の植毛に浅草橋Keitoのシェットランドヤーン2plyを5色使いました。色が豊富できれい! 毛糸だま 2018年春 177号掲載
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(29)「年賀状」という名の挑戦状
2019/01/30 00:00
この連載のために作る人形も、ヴォーグ学園での課題のために作る人形も、私は常に新しいものをみなさんにお見せできるようにと考えています。カワイイ女の子の人形ばかりでなく“オジサマ”も羊毛でカッコよく作ることができるはず。見る人を楽しませようと悩むことは、表現の幅を増やす絶好の機会です。どんな機会も見逃すことはできません。 今どきの世の中のモノは、薄い紙一枚のみならず液晶画面越しに見ることがほとんどでしょう。それは一枚の美しい絵として「いいね!」の一言で評価されています。私はいつからか、「年賀状」を学園の生徒さんにお願いするようになりました。干支の動物を自由に作って撮影し、レイアウトをデザインして私に送ってくださるようにと。お礼は全員へ私から送る年賀状と、優秀作品選定後にプレゼントする素材の詰め合わせです。その年賀状が受賞した理由をコメントしつつ、新年は学園各校を廻ります。立体の作品を平面で魅せることも考える。それは各個人の挑む新年への挑戦状なのです。 初めて中世ヨーロッパを意識した紳士を作りました。衣装の時代設定が難しいですね。 毛糸だま 2017年冬 176号掲載
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(28)小さな憧れ
2019/01/30 00:00
きちんと近くで見たことがあるわけではないのに、私にとってキツネは昔から身近な動物でした。イソップ童話で意地悪をしたり、彦一とんち話で騙し合いをしたり。「ごんぎつね」なんて、何度読んでもグスンときます。ですが、なみいる名作よりも私が好きだったキツネは、うちの納戸のタンスにぶら下がっていた一本の衿巻でした。本物のキツネの毛皮を使った、顔と尻尾もついているタイプのもの。今の価値観ではNGとされるような代物です。 タンスの扉を開くと服の間にキツネがいる、という不思議感が大好きで、扉を開けては衿巻のキツネの頭をそっと撫でてまた閉めるという儀式を、飽きずに何度もくり返した子ども時代でした。薄暗い部屋にナフタリン臭という思い出のオマケつきです。「アメリカでは、毛皮を着ていると、動物愛護主義者からペンキをかけられるそうよ」と、学校からの帰り道に友達が教えてくれたけれど、私は、知らない人の服を勝手に汚すなんて嫌な話だ、うちのキツネはずっとタンスにいてもらおう、なんてことしか考えませんでした。だってあの子は、私の憧れだもの。 女の子の衿元で戯れるキツネは、ほとんど毛糸だけで作りました。体がフニャっとしています。 毛糸だま 2017年秋 175号掲載
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(24)秋が来る
2019/01/30 00:00
夏が苦手な私は、毎年7月になるのを恐れ、9月を心待ちにしています。8月さえ終われば…。あの迫ってくるような空気の重い夏空やせいろの中のような熱気から少しずつ逃れられるはず。 でも、おかしいな。10代の頃はあの炎天下で1日中部活に励んでいたし、働き始めた20代の夏は、毎週末を海で過ごしていたはずです。木陰から腕を伸ばして見上げた入道雲は、秋の空よりも高く遠くにありました。 思えば30代、子育て中の真夏の公園通いが苦行の始まりだったかもしれません。まだらに焼けた自分たちの顔を他のママさんたちと笑いあうのはいいけれど、秋がくる頃にはホッとして体力が尽きてしまいました。 そして今が40代。地球の気温が昔より上昇しているのは事実としても、それ以上に秋は楽しい。銀杏の葉は黄色く舞い、実はオレンジに、もみじも桜の葉も赤く燃える。空気が澄み、高音域の音が冴える気温になる頃、夫の誕生日がやってくる。次に子どもの誕生日とクリスマス、そして年が明ければ私もまた一つ歳を取る。今年も私は秋への期待の扉を、アチコチで探しては開くのです。 『ポーの一族』へのオマージュで作りました。少女漫画の世界観は美しすぎて難しい! 毛糸だま 2016年秋 171号掲載
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(23)旅というもの
2019/01/30 00:00
夏は毎年、必ず家族で旅行に行きます。年々忙しくなる息子と自営業の私たち夫婦、予定を合わせてカレンダーとにらめっこするのが旅の最初の儀式です。一ヶ月前に日程が立てばかなり良好という不確定さなので、気軽な国内旅行を「おっ! 3日後なら大丈夫」と直前にポンと入れることもあります。 私にとっての旅は、車の後部座席でゴロリとすること。運転席と助手席で夫と息子が絶え間なく喋っているのを、ぼんやりと聞いています。8ミリカメラのリールテープが私の脳内で回り始め、実際には編集されることないロード・ムービーが録画されていきます。観光地や景勝地めぐりはもちろん良いけれど、車のフロントガラスに映るものだけを小さく楽しむことこそが、我が家にとっての至上の喜びかもしれません。 昨年は北海道の最北を選びました。夏があんなに寒いとは思わなかったし、日程の半分は雨だったし、うら寂しい水族館でみたアザラシの目が真っ黒で怖かった…などなど、カタカタと何度も頭の中の映画館で繰り返される上映会。その結果、ああ、すごくおもしろかった…となり、貪欲な目と開く口から出る言葉は、「さあ、来年はどこに行く?」 源氏物語「夕顔」に登場する女の童です。相手へ差し出す姿勢と視線に苦心しました 毛糸だま 2016年夏 170号掲載
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(22)少しだけ嬉しい日
2019/01/30 00:00
結婚記念日はわからないけども、私が夫と家族になってから20年ぐらいになります。二人ともフリーランスなので、黙々と家で仕事するのが日常ですが、いつもと少し違う日もあります。 その日は良いアサリを魚屋で買い、昼食に炒めてパスタと和え、仕上げに鷹の爪を入れて家族でモリモリと完食しました。ところが、昼過ぎから左手の中指と薬指の間がヒリヒリと急に痛み始めました。唐辛子を指の股にこすり付けられたような感じ。水や石けんで洗っても、つらさは増すばかり。日が暮れてからついに、ヘドモドしながら夫に打ち明けると、彼はタブレットで片っ端から検索をかけ、解決策を探し出してくれました。 キッチンに二人立ち、広げた私の手にドボドボとサラダオイルをかける夫。「いっぱいの油でよくこすらないと、唐辛子は落ちないんだって」 言われた通りにすると嘘のように痛みは収まりました。こんなつまらないことを一生懸命に私のためにしてくれるのは、きっとこの人だけなのだろう。「よかったね」と言われて「うん」と返事をします。そして付け足します。「ありがとう」と。 憧れのおやゆび姫のために、シルクオーガンジーを染めてドレスを縫いました 毛糸だま 2016年春 169号掲載
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(21)子どもの時間
2019/01/30 00:00
今年の12月で、私の息子は15歳になります。特記するような才能は何もないけれど、朝から晩までニコニコと笑っていて、子どもらしい性質のままなのが、親としてはなにより楽しいです。でも、昔を振り返って考えると実はそれほど笑ってはいませんでした。いつごろ変化があったのかしら。「熱海の小学校の教頭先生が小さなころから笑顔でいると、大人になってから良い顔になるよと言ったから!」という息子。実に、言うは易く行うは難しの名言です。 思えば私は、親にとって良い子であったことはありませんでした。なのに私は、反抗期を知らない子の母となりました。息子が私に噛み付かないのは、なぜなのかしら?「そんなことしても僕にとってメリット無いし」と、それはツルンと滑るような即答でした。 笑顔は彼の大事なコミュニケーションツール。人に笑みを認められ、自分が大切な存在だと思えるように、地道に住環境を整えているのです。私はこんな選択をする“子どもの時間”を間近で経過観察しているわけですが、あと3年ぐらいは、毎日眺められるのではないでしょうか。 裾がはためくドレスの形そのままに、羊毛で成形しています 毛糸だま 2015年冬 168号掲載
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(20)じぶん好み
2019/01/30 00:00
私は最近、とても頑なです。歳とともに体の関節も頭も固いこの頃なので、そうそう簡単には感動はしません。でも日々に無感動というわけではなく、涙腺なんかは緩みっぱなしなので、どちらかというと“好きなものだけに頑な”なのです。 美術館や本や街角でふいに目にすると、いつも呼吸が止まりそうになるのは歌川国芳。腕前はご存じの通りなので、多くの美術館で収蔵・常設されていることもあり、浮世絵の図録はもちろん、猫の絵の雑貨まで店頭に並びます。 なんだたかが江戸の浮世絵師じゃないか、とはどうぞ茶々を入れずに願います。現代にいたるまで絵師は数あれど、彼ほど庶民と同じ目線から見たカッコイイ世界を描けるイラストレーターがいるのでしょうか? 滝や波の音、煙の臭い、動いているような錯覚を誘う武者たち。彼の描く人間は、私たちと同じ重力の下で生きている気がします。 彼の絵はいつも私をざわざわと動かします。私だって、こんな力のある人形を作りたい。結局はそんな欲望に行き着くわけですが…。 作業服を来たイノシシなので、なんとなく山を歩く父の姿を思いながら作りました 毛糸だま 2015年秋 167号掲載
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(19)音の楽しみ
2019/01/30 00:00
私が幼かったころ、四つ年上の姉は自室で夜な夜なラジオを聞いていました。大好きな歌手のトークや怪談話を楽しんでいたようですが、廊下に漏れる姉の笑い声は、密やかで不思議で。この謎は私が三十路を過ぎてようやく身を持って解かれます。 子どもを持ってからテレビをつける習慣を改め、仕事をするときはもっぱらラジオ。好きなタレントが「そういえばこの間さあ」と耳元で話し出す体感の近さが最初のツボでした。会ったことは無いけど、声を聞きながら彼や彼女の顔の向きや身振りを絶えず感じます。同じく姿は見えないけど、ゲストのトークもまた多彩。落語家、彫刻家から厩務員、ペンギン研究家まであらゆるプロの珍しいお話が積り、時間に埋もれていきます。 意外と好きなのはラジオショッピング。見えないブランド米をフーフーハフハフと食べる音だけで、ツヤツヤの銀シャリが脳裏に浮かぶのです。自分の中から湧くイメージはとても自由でここちいい。そう、この感じ。自分の体の中に備わっているものが揺さぶられるから、楽しい。ラジオ仲間、もっと増えないかしら。 本物の着物地で衣装を揃えてみました。母兎は夏用に紗の帯です 毛糸だま 2015年夏 166号掲載
(18)耕す人
2019/01/30 00:00
人形を作り始めてから、今年で12年目です。人に教えるようになってからは10年ほどでしょうか。「先生」と呼ばれる気恥ずかしさにも、やっと慣れてきました。おかげさまでヴォーグ学園を通して各地で講座を開講していますが、漢字としては『開墾』のほうがピッタリくるように思います。 12年前はまだ、日本でニードルフェルティングの技法を詳しく知る人がわずかで、土壌は何もありませんでした。限られた土地を耕し、水をやって追肥し、見守る。種は来てくださる受講者の方々です。 人の前に立つことにもはや戸惑いは感じませんが、どこまで見守るのが必要なのかは悩ましい私自身の課題です。「作っていて楽しい!」や「こんなふうに作りたい」というワクワクするフレッシュな気持ちは、人が生きる上での大事な原動力ですが、長続きが難しい。あくまでも個人のペースを守って温め続けなければいけません。でも、上を見上げて来る台風に耐える成長もあります。 私は育ったいろんな花が、いろんな場所でまた種を飛ばしてくれればいいと願ってやみません。 服は緑に染めた羽二重をフェルト化しました。黒く染めたシルクのまつげもついていますよ 毛糸だま 2015年春 165号掲載
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(17)五感と記憶
2019/01/30 00:00
トラン・アン・ユンというベトナム人の有名な映画監督がいます。彼の映画は色も美しいのですが、俳優たちが匂いや手触りを確認するような動作をするため、観客はその擬似体験で映画の記憶を濃くするのです。 この夏、我が家はモンゴルへ行きました。「草原」というたった二文字では表しきれない大自然のスケールで、空気は今まで嗅いだことのない清廉さ。樹木一つない山がどこまでも連なり、人の声だけが深く沈みました。 どんな旅でも終われば日常に記憶は飲み込まれていきますが、日本に居ても体の端でふいに五感が震えます。乗った馬の背の生温かい感触や美味しい食事とシェフの笑顔、利口な番犬の分厚い体毛…。 旅行中、ふと熱海の海が懐かしくなっ私に、モンゴル人ガイドのB氏はこう言いました。「この草原が海だと思えば寂しくないよ」と。ハハハと笑って生返事した私ですが、今は毎日窓から海を眺めては彼の言葉のありがたさを噛みしめています。 この海は、あの素晴らしいモンゴルの草原と同じ。心は毎日、海と草原を行き交うのです。 モンゴルの民族衣装、デールです。騎馬民族らしく、乗馬に最適の機能性! 毛糸だま 2014年冬 164号掲載
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(16)人形作家という職業
2019/01/30 00:00
羊毛で人形を作り始めて12年目になります。人の形も動物も、いろんなものを作ってきましたが、そもそも自分が人形作家になること自体が思ってもみなかったことでした。 団塊の世代である親たちは仕事について夢を語ることがなく、「どんな仕事でも“同じことを繰り返す”という基本は変わらない。仕事に好きも嫌いも無いさ」と噛んで含めるように言い聞かされていた思春期の頃。 今、壮年の自分ならば、セーラー服姿の私にはこう伝えよう。「熊は5回ぐらい作ったよ、ライオンは3回、カバと象は1回だけ。龍は今回が初めてで、人間はたくさん作ってきたよ。何度作っても、いつも発見があって前進できて楽しいよ」と。 でもきっと10代の私としては、この明快なアドヴァイスに対して「人形作家? そんな職業興味ないんだけど」って笑い飛ばして終わるような気もします。ましてや家庭を持って子どももいるなんて、語ってもまず信じないでしょうね。 秋のお祭「長崎くんち」を再現してみました。蛇衆がたくさんいて、それだけで楽しい(!)です 毛糸だま 2014年秋 163号掲載
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(15)観光地の客人
2019/01/30 00:00
熱海に移住してから、2年が経ちました。“観光地に一度住んでみたい”という好奇心ありきだったので、いまだにこの地の客人のような気もします。 「寂れているんでしょ?」と、人からよく聞かれますが、さにあらず!首都圏から電車一本で来られる気軽さゆえか、週末は駅前が人であふれます。 特に夏の熱海はかきいれ時です。ビーチは水着と浮き輪で賑わい、水着でバスに乗り込む人の姿も珍しくありません。温泉だけでなく、オレンジの花咲くアロエが点々と自生しているので日焼けした肌も潤います。毎週ある花火大会と窓から望む海も観光地ならではの味わいです。 仕事と家事と育児をひたすら繰り返す日常というものは、どこに住んでいても同じだけれど、どうやら海を眺めて温泉に入る度に、リセットボタンがカチッと押されるようなのです 朝顔は土染めの和紙を澱粉糊で貼って作りました。楽しい工作です! 毛糸だま 2014年夏 162号掲載
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(14)春に思うこと
2019/01/30 00:00
子どものころから、「神様」は身近だったように思います。お風呂やトイレやお布団の中にも神様は居て、父母の私へのしつけに一役かいました。 祖父母は田畑で食べ物を育て、家の内にも外にも植物を絶やすことはありませんでした。私はトンボの目玉を回してその羽を捕らえ、アマガエルを手の中でなでて育ちました。神様は子どもの小さな手のひらの中でさえ不思議な「命」として感じることができたのです。 この普段着感覚の信仰が日本特有のものであると知ったのは、二十歳を過ぎてからのこと。作家トールキンが著書『指輪物語』で植物に意識があると表現したのは、当時欧米でたいへんな意識改革となったのだそうです。 森を守る「木の精」は、日本で昔から伝承されていますが、この春も自然と日本人の根底に命の源として息づいていることでしょう。 馬喰町のKeitoで購入した毛糸で作ったエント(木の精)。段染めが美しい綿糸です 毛糸だま 2014年春 161号掲載
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(13)「限定的」欲望
2019/01/30 00:00
人形作りに使うための素材探しは、私の職業病です。公園でも本屋でも、目は“使える素材”を求めてさ迷います。そう、手芸屋さんだけではないのです。環境イベントで買った木ぎれ、骨董市では布切れ、海で拾った骨や板きれ。再度入手しようと手がかりを辿っても、まず目的は果たせません。 年々記憶力は低下するのに、再会できない素材だけは色も手触りもサイズも忘れられないのです。自分が触れないものだって欲しくなります。 映画「ベンジャミン・バトン」の中で手紙の束を結んでいた、白いサテンのリボン。それ私にください!とむなしく画面に訴えたこともありました…。 そして今号の女の子が来ているジャケットの布もまた、私が買った4ヶ月後には売り場ごと消えてしまっていたのでした。 もうちょっと、欲しかったのに…。 ヘラジカの体も布を使用。いろんな布から選べるのは贅沢な時間です 毛糸だま 2013年冬 160号掲載
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(12)特別に感じること
2019/01/30 00:00
夜、子どもを寝かしつける時に、私はよく話を聞かせました。即興で作る話は、とても他愛のないもの。幾何学模様の中を散歩する話や、おもちゃを持って行ってしまうこびとの話。 今年中学生になる息子には「今夜を最後の夜にしようね」と、こんなお話をしました。 青いずきんをかぶった女の子。彼女の名前は“あーずきんちゃん?。現代っ子のあーずきんちゃんは、お使いに出たあとすぐに、同じクラスの男の子とゲームセンターで遊んでしまいます。たっぷり寄り道した後、知り合いの花屋でゆっくり花を選び、おばあちゃんの家に向かうのですが…。結末は内緒です。 この人形を作っていると、息子が「これ、あーずきんちゃんなの?」と驚いていました。 「この子、今までの人形とぜんぜん違うね。すごくかわいいね」と。 青いフードマントは着脱可能。人形は羊毛ですが、たまには根気よく縫い物もします 毛糸だま 2013年秋 159号掲載
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(11)表現という動作
2019/01/30 00:00
人は“モノ”を作りつづける存在です。有形・無形を問わず、その根幹は厳しい現実を個人的に再評価することで顕すのです。世の中を「素敵」と思えるのは、人の美しい価値観でしか成り立ちません。木の葉一枚、水の一滴が詩になり、文学になり、数学になる。営々と続く人の歴史そのものです。 私もその中のひとりでありたい。先人の見てきたものと、自分が生きて感じていること。それは、難しいことではないのです。 人がジュゴンを人魚と見間違えた幻想。アンデルセンは下宿先の娘に恋をし、失恋の苦痛から愛しい彼女の幻として『人魚姫』を書き上げました。私は人魚という存在自体に憧れて、人形を作ります。大好きなアンデルセンに敬意をはらい、下半身は二本の足を作ってからその上を再度羊毛で覆いました。でも、耳は普通の人間のものでは水中で不便でしょう。ファンタジー世界にならってデザインします。私の「世界の再評価」は本当にささやかな日常なのです。 人魚のウロコは市販のフェルトシートを染めたもの。手軽にいろんな色が表現できます 毛糸だま 2013年夏 158号掲載
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