上田葉子さん

上田葉子さん 函館生まれ。1986年女子美術大学芸術学部芸術学科卒業。同年画家の上田薫氏と結婚。1990年『ひそやかな舞踏』で第14回クロワッサン全国創作壁掛コンクールにて入選。1992年『シエナの翼』で第20回日本創作編物手芸コンクール手芸部門で文部大臣賞を、『たゆとう』が手芸部門で創作賞を受賞。この年(公財)日本手芸普及協会パッチワーク・キルト講師養成講座修了。1995年(公財)日本手芸普及協会パッチワーク・キルト指導員養成講座修了。現在日本ヴォーグ社キルト塾講師。

小さい頃から人と同じでは嫌な子だった。そんなこだわりが染めやミシン織りの素材となって、上田さんのキルトに欠かせない要素となっている。テーマは、尽きせぬ驚きを与えてくれる自然から得ることが多い。染めもミシンかけも手縫いも、作品を作っている時は無心だ。大好きな布の手触りに幸せを感じながら、「空っぽになっている頭は、きっと脳内麻薬がいっぱいのはず」と言う。キルト界の次世代を担う若手のホープだが、自分の頭を通して、クリエイティブな表現としてのキルトを追求したいという上田さんを、相模原の自宅兼アトリエに訪ねた。 新米主婦業は、家事そのものがすべて新鮮に思えた。カーテンやクッションを縫うのも、実務ではなく楽しい創作だった。その延長で、布で絵を描く大きな作品を作ってみた。結果、一作目の『ひそやかな舞踏』が雑誌「クロワッサン」の「黄金の針賞」に入選。そして後に日本創作編物・手芸コンクールで文部大臣賞となる『シエナの翼』や、同年同コンクールで創作賞となる『たゆとう』など、数点の大作を制作していた。 しかしその段階では、自分がやっていることがパッチワーク・キルトという分野に入るものだという認識はなかった。パッチワーク・キルトといえば伝統的なパターンを小さなピースで埋め尽くす、気の遠くなる作業で、おまけにクリエイティブな要素も少ないと思っていたのだ。 その頃大丸デパートで開かれた「キルトナショナル」を見て、衝撃を受ける。「私のやりたかったことはこれだ!」。今まで手探りで、何か自分らしいものを作りたいという思い衝き動かされて作ってきたものが、一つの世界として目の前に広がっていったのだ。またそこで見た作品群の表現力の豊かさ、オリジナリティの質の高さ、これこそ自分が求めていたアートだと思った。 ―本文より一部抜粋― キルトジャパン2001年5月号より
  • いくつもの染料を混ぜ合わせながら、手描きで染色しているところ。布には、その時の季節感やフィーリングが映し出されるという。その他、美しいマーブル模様を写し取る“マーブリング”の方法や、日光に当てることで定着するという染料を使っての染色も行っている。
  • 3階のアトリエは上田さんとご主人の共有スペース。自由自在にレイアウトが変えられるように、机や棚ほとんどにキャスターがついていて、あっという間に広い作業スペースができる。家にいる時はなんとなくアトリエで働いてしまうので、旅行に出てリフレッシュするのだとか。
  • 『Reflection』 175×145cm
    葉(leaves)をモチーフにしたシリーズのひとつ。キルトを通してさまざまな出合いから生まれる喜び、そんな幸福感を色で表してみたら……?という深層心理を、布に反射させてみた作品。手描染め布、マーブル布、バリ島のスタンプバティック布を使用。ミシンピーシング、ミシンアップリケ、ミシンキルティングのテクニックで制作。
  • 『四億年の旅(シーラカンス)III』 132×175cm
    1994年、クロワッサン全国創作壁掛けコンクールで「黄金の針賞」を受賞。自然環境への危機感がテーマ。シーラカンスは造形的にもユニークで興味深い対象とかで、何作も作っている。この頃から質感の表現にこだわり始め、縫い代を表に出したり、当時はまだ一般的でなかったスラッシュを入れたりしている。手染めの木綿、市販の木綿を使用。ミシンピーシング、ミシンアップリケ、ミシンステッチのテクニックで制作。