田中由美子さん

田中由美子さん 東京都在住。1975年からパッチワークを始める。1981年「キルトおぶはーと」鷲沢玲子さんに師事。1984年に自宅教室「Yわいパッチワーク」を開設。2002年より日本ヴォーグ社・ヴォーグキルト塾にて講師を務める。2008年より独立。キルト関連の雑誌や書籍に作品を発表するなど活躍の場を広げている。

田中さんの作品は、一見シンプルな構成のものが多いが、よく見つめてみると、素材や技法を上手に使ってひねりをきかせていることに気づかされる。単純なくり返しではなく、サイズや配置、素材を変えて新しい変化を生み出す、そんなイノベイティブされたキルトは創意工夫にあふれ、明るく大らかでユニーク。まさに田中さんの魅力そのものの発想から生まれるのだろう。田中さんの布好き、手仕事好きはお母さんの影響。洋裁を習っていたお母さんは、田中さんと妹の洋服はほとんど全部手作りしてくれた。いつも家の中に布地があったし、お母さんの見よう見まねで、お人形さんの洋服作りもギャザーを入れたり、簡単にズボンを縫ったりしていた。それにレース編みも好きで、小学生の頃から祖母といっしょにレース編みをしていたそうだ。「今でも古い洋書のレースの本が愛読書で、そんな本をうっとり眺めていると、想像力を刺激されるんですよ」と言う。今まで、キルト以外にも手仕事はいろいろ経験してきた。妹の影響で革工芸もやったが、大きな音がするのがネックであきらめた。ニットは四、五年習っただろうか。通った教室の宮川惟子先生という人が、実にユニークでおもしろい人だったそうだ。宮川先生からおしゃれのセンスというものを教わったが、それ以外にもいろいろな面で影響を受けたと言う。「私の人生の中の大切な出会いを3人あげるなら、中学の時の恩師、鷲沢先生、そしてこの宮川先生ですね」と、迷いなく言う田中さんだ。洋裁好きのお母さんのもとで、常に布に親しむ素地があり、自身でも手仕事をあれこれ経験して、ついに一生の友としてのキルトに出合った田中さん。キルトに出合わなかったら、何かの手仕事はやっていただろうが、今のような楽しく幸せ感に満ちた暮らしだったかどうか。それほど、キルトが導いてくれた人生は、田中さんにとって大きなものだった。 ―本文より一部抜粋― キルトジャパン2010年9月号より
  • 「紅華」2006年制作 216×186cm
    還暦の記念に制作。中央の赤い布にぴったり合う赤いプリント布を見つけたことでこのデザインが生まれた。プリントの密度をうまく組み合わせてシンプルな四角つなぎを効果的に用いている。トラプントの陰影でさらにボリュームを加えて。
  • 1階のアトリエはまさに布の宝庫! この位置で布を眺めながら制作している。
  • ウールなどの異素材も楽しんで意欲的に作る。右は試作品、左はキルトジャパンに掲載したクッション。
  • 針道具はシンプルだが随所にこだわりが。針は生徒さんにもらった和針がお気に入りで、ピースワークもキルティングもすべてこなしてしまう。箱は元は籠だったものに紙と布を貼り、娘にペイントしてもらった。20年以上使っている愛用品。