鳥居啓子さん

鳥居啓子さん 1971年に結婚して、初めて針を持つ。野原チャックさんの本に出合い、キルトにのめり込む。1978年「パッチワークキルトスクール名古屋」に第一期生として入校。1985年キルトショップ「ジンジャーブレッドマン」を開き、キルト教室を始める。1990年名古屋の㈱西出「花もめん」にショップを移す。同社の社外デザイナーとしてオリジナルファブリックとウェアのデザイン、制作に携わる。この頃より名古屋、大阪梅田阪急、東京ローリーヒサコジャパンなどでの講師活動が始まる。1997~2000年、2002年~2004年「パッチワークキルトスクール名古屋」の代表講師。2005年からヴォーグ学園名古屋校で「キルト塾」講師を務める。その他、フリー教室では20年来の生徒たちと、楽しくキルト作りを続けている。

自分の作品なのだから、人に見せるためのきれいなものを作るより、自分の好きな布で、自分にとって意味のあるものを作ろうというのが、鳥居さんの一貫したポリシーだ。だから、家族の着古した洋服、ソファーのカバー、カーテン、ユニフォーム、めがね拭きも、交通事故にあった時のシャツさえも、キルトの素材になった。 鳥居さんは、伝統的なキルトのパターンに一つ一つ名前がついていることに、とても心惹かれると語る。そこにほかの手芸と一線を画す、イマジネーションの源泉があると考えている。「私にとってキルトがこんなに長く続いたのは、そのことと大いに関係があると思います」 たとえば「おばあさんの花園」という名前で、小さい頃は道端の名も知らぬ花が好きだったのに、大人になるとともに百合とか桜とかが好きになったなあという思いに誘われる。そして、次々とイメージが膨らんでいく。 「キルトって、“私はこんな風に育ったんですよ、今の私はこんなふうな人間ですよ”ということを、言葉でおしゃべりする代わりに表現しているんじゃないでしょうか」 作品の発想は、本を読んでいる時、映画や絵を見た時、車を運転している時などに、一枚のシーンとしてふっと浮かぶ。それをラフに描いておいて、膨らませていく。 『イン マイ ルーム』という作品は、姉と二人で過ごした子供部屋での思い出を、作品にした。何でも姉の真似をしては、背伸びしていたが、一番覚えているのはLPレコードを一緒に聴いたこと。パット・ブーン、ポール・アンカ、フランク・シナトラ…。おませな曲に夢中になったあの頃がよみがえる、思い出のキルトである。 現在のキルト事情を考えると、高度なテクニックで精密化、高級化しすぎた感がある。行き着くところまで行ったら、若い人にも受け入れられる原点に戻るしかないのではないだろうか。 アメリカの西部で生まれたキルトに宿る素朴な良さを見直したい、と鳥居さんは言う。そして、自己主張するキルトでなく、心に染み入るようなキルトを、これから一枚作ることが夢だという。 ―本文より一部抜粋― キルトジャパン2008年11月号より
  • 手前に開いている箪笥の布は、すでに鳥居さんのものになった布で出番待ち。その奥の箪笥には、まだ鳥居さんと折り合いのついていない布がたくさんストックされていて、時々話し合いをしているらしい。それにしても、布の種類の多さには驚く。
  • 『In My Room』195×173cm
    戻りたくても決して戻れない懐かしい時代を、古い布で表現。好きなスターの話や初恋、擦り切れるまでかけていたレコード、解けない方程式に苦戦した部屋は、大好きなお姉さんと一緒だった部屋。鎮魂のために、どうしても作る必要があった作品。第6回キルト日本展で、野原チャック賞を受賞。
  • 「主人が建築家なので、エコとローコストでどこまでできるかを試した見本みたいな家」と語るリビングには、キルトの大作が映える。作品は『舞妓はんの髪飾り』180×180cm。和素材でない絹、毛、リボン、ハンカチ、スカーフなどを使い、京都の舞妓さんの胸がキュンとするようなかわいらしさを表現したという作品。
  • 写真の奥のクレイジーキルトは、素敵な裏布が見えるようにリボンで結んでいる。住む人の布好き、針好きが感じられるインテリア。