宮谷真知子さん

宮谷真知子さん 香川県高松市出身。女子美術短期大学卒業、在学中に桑沢デザイン研究所服飾デザイン科夜間部に通い、卒業後プレタポルテのデザイナーを経て、パッチワークを始める。1984年第1回「クレイジーキルト展」開催。ヴォーグ学園大阪校、ヴォーグキルト塾などで指導にあたるほか、「おしゃれ工房」出演。「クレイジーキルターズクラブ」主宰。著書に『はじめてのクレイジーキルト』『Machiko Miyatani’s 25th anniversary』『Machiko Miyatani’s 30th anniversary』(日本ヴォーグ社刊)がある。

四国・高松で街の洋装店に生まれた宮谷さんは、洋服地の反物に囲まれて育った。物心ついた頃には、母やお針子さんたちのそばで、見よう見まねで針をチクチク動かしていた。 大学卒業後、南青山の会社で3年間プレタポルテのデザイナーを経験した後結婚、退社。子育てしながら自宅でできることはないかと探している時、図書館で野原チャックさんの本に出会い、パッチワークのおもしろさに惹かれて、ハーツ&ハンズに入学。「私、ミシンはほんの小さい頃からかけていましので得意だったのですが、手縫いは本当に自信がなかったのです。スクールに入ってみると、みなさんとても手縫いが上手で、すごいショックを受けました。ある授業でインディアンのセミノール・パッチワークの課題が出て、それを野原三輝さんに褒められて『キルトナショナル』に出してみたら、なんと入選してしまったのです」1985年、まだコンテンポラリーキルトという言葉すら定着していない、ましてや『キルトナショナル』などという賞も知られていない時代のことで、一番びっくりしたのは本人だったかもしれない。その上、同年創刊された弊社「キルトジャパン」の創刊号で、第一作目のクレイジーキルトが表紙を飾るという幸運も重なり、手縫いが苦手でも自分に合った活路はあると自信が芽生えた。 宮谷さんの場合、作品のインスピレーションは、ファッションショーから得ることが多いと言う。やはり幼い頃から慣れ親しんできたファッションの世界は、キルトにおいても刺激の発信地なのだ。「表には出ないが職人の確かな手仕事が感じられるような、そんなクレイジーキルトを作りたい」「デザインも、真剣にじーっと考えるタイプではないので、とにかくながら仕事が専門。時間の使い方は手抜き上手。そして、和・洋両方好きで、どっちと決められないのが自分流。こんな行き当たりばったりのキルト人生でしたが、これからも好きなものを好きなだけやっていると思います。」 ─本文より一部抜粋─ キルトジャパン2003年5月号より
  • 『FantasyⅠ』1984年制作 135×110cm
    ミシンを使用して作った、インディアンの香り漂うセミノール・パッチワークの作品。無地布だけを使い、切っては縫い、切っては縫いの繰り返しで出来上がる幾何学模様に感動して、一気に仕上げた。初めて応募した「OHIOキルトナショナル展」に入選した、ラッキーな作品である。
  • 『万葉クレイジー』1986年制作 165×135cm
    アメリカン・アンティークキルト展で見た「CRAZY QUILT」に刺激を受けて作った初めてのクレイジーキルト。当時はほとんど資料がなく、作り方が分からないために、買い求めたアンティークキルトを解いたりして手探りで制作した。その年創刊されたキルトジャパンの表紙を飾った思い出深い作品である。
  • 生徒に教えるために作った、クレイジーキルトの見本サンプルいろいろ。 シルク、ジャガード、ウール、サテンなどに施された刺しゅうが華やかである。
  • キルトのことを忘れそうな、愛犬ラングとの楽しい語らいの時間。犬仲間の友人たちで結成したウイル・ワンクラブの仲間たちとよく行く、イタリアンレストラン「トラットリア コモド」のテラスで。