深山実枝子さん

深山実枝子さん 東京都出身。1963年より深山実枝子手芸教室主宰。1970年ヴォーグ編物指導者養成校 刺しゅう科講師。1973年ヴォーグ学園市谷キルト科講師。1975年ヴォーグ学園新宿校講師。1985年日本ヴォーグ社通信教育部キルト科指導部長。1986年(財)日本手芸普及公開パッチワークキルト講師養成講座担当。1992年同理事。1999年同副会長。2000年ヴォーグ学園横浜校キルト科講師。2004年International Advisory Board Meeting日本代表理事。2005年(財)日本手芸普及協会会長。2006年ヴォーグ学園名古屋校キルト科講師。キルト歴37年。著書に「深山実枝子のキルト塾」「やさしいイノベイティブキルト深山実枝子のキルト塾2」(どちらも小社刊)など。

深山さんの人生を振り返る時、キーポイントなのが刺しゅうと英語ではないだろうか。深山さんは中高とミッションスクールへ通った。そこでシスターたちからネイティブ英語を学べたのは、当時では珍しい経験だった。また、母が和裁をよくする人だった影響もあってか、小さい頃から手芸が好きで、刺しゅうを6年ここで学んだ。 色々な偶然が重なり、刺しゅうの講師として教壇に立ち始めたのが、39歳の時だ。それから3年たった頃、イギリス、フランスにハンドクラフトを学ぶツアーが企画された。ロンドンから車で2時間のウエストディーンの広大な古城で、宿泊しながらの授業だったが、深山さんは刺しゅうを深めることに専念した。偶然にもその先生が着ていたベストがあまりにも素敵で、目を奪われた。それが初めて目にするパッチワークだった。「ヘクサゴンのパッチワークキルトのベストでしたけど、実物を見るのは初めてでした。あまりの素敵さに感動して、キルトの魅力にとりつかれてしまいました。」先生に教わったキルトの本を求めて本屋を数件探し回り、やっと手に入れた時は本当に嬉しかったという。当時日本には良いキルトの本がなく、深山さんは洋書を訳して実際に作ってみた。 それから1か月後に、現地で習った手芸品を完成させて持ち寄り、思い出話に花を咲かせましょうという会があったが、作品を仕上げていったのは深山さんだけ。見せずに持ち帰ろうとしていたところ、瀬戸相談役(小社創業者)の目に留まり、ヴォーグ学園でキルト科を指導する端緒となった。 その後、野原三輝さんによって財団法人日本手芸普及協会にパッチワークキルト講師養成講座が開校されたが、野原三輝さんが一期で病に倒れた後を深山さんが引き継ぎ、二期から19期までの長きにわたり免状を出し続けてきた。 ─本文より一部抜粋─ キルトジャパン2006年11月号より
  • 『遼(りょう)』1975年制作 200×150cm
    綿紬を使用した、深山さんのファーストキルト。メダリオン(中央部分)は、大好きな刺しゅうやリバースアップリケ、ミラーワークなどで表現し、周りのパターンの中心には、それまでに刺しゅうで作った大きな「つい立」の刺しゅう部分を切り取ってはめ込んである。
  • 『花々の楽園 Floral Paradise』1998年制作 220×200cm
    1998年「国際キルト博‘98」出品。
    孔雀や小鳥たちの幸せな鳴き声が聞こえてきそうな花々の楽園をイメージした、ゴージャスなクレイジーキルト。黒地に入れた華麗な刺しゅうが一際引き立っている。四隅には花のパターンを入れて、すっきりとした印象に…。
  • 『コッツウォールズの想いで(PartⅠ)』 2000年制作 192×166cm
    2002年「東京国際キルトフェスティバル」出品
    1999年訪れたイギリスのコッツウォールズの美しい田園風景を表した思い出のキルト。中心にはリボンやウールの刺しゅうで花々が咲き乱れる様子を立体的に表し、さらにその周りにはアップリケと刺しゅうでよりいっそう華やかに。どこまでも続く丘陵、中世に建てられた蜂蜜色の家々が点在する村々。自然と人間との美しい調和のとれた暮らしが、コッツウォールにはあったという。
  • ヴォーグ学園東京校の研究科の授業風景。深山さんの説明を熱心に聞き入る生徒さんたち。