
コピーライターとして数々の言葉を紡ぎ世に送り出してきた 吉免高志さん。そんな彼が、書籍 「あみものできた!」を片手に、まったくの初心者として"かぎ針"を手に取り、編み物の世界に初挑戦しました。
言葉を削りながら、伝える方法を探してきた
コピーライターという職業は広告や商品のために言葉をつくる仕事だ。
街角の看板にある短いフレーズ、雑誌の見出しのようなひと言。
人の心を動かすために言葉を選び、余分を削ぎ、ぎゅっと凝縮して世に送り出す。その数行に込めるのは商品の魅力であり、ときに企業の理念であり、あるいは人の願いそのものだ。
短い言葉に、長い物語を閉じ込める。
そんな矛盾のような営みを私はもう何年も続けている。
コピーの魅力は、その「短さ」にある。
十行の説明より一行の言葉が人を動かすことがある。余白を残すことで読み手の想像を呼び起こす。語りすぎず、語らなさすぎず、そのわずかな境界線の上でバランスを取る。短いほど強く、短いほど広く伝わる。その緊張感に私は惹かれてきた。たった数文字の違いで印象が変わり、言葉が光を帯びる瞬間に立ち会うたび、「言葉って、生きものだ」と思う。

かぎ針を手にして、はじめて“足す”ことを知る
そんな自分が、ある日かぎ針を手に毛糸をすくった。
『あみものできた!』という本を開き、最初に挑んだのは鎖編み。説明の通りに針を動かすが、最初は糸が絡まり、形にならない。ただ鎖のように目をつないでいくだけ。それでも、思うようにいかない。緩んだり詰まったりを繰り返しながら、何度もやり直した。
ページを追いながら手を動かしているうちに、不思議と糸が落ち着き、目が整いはじめた。鎖がすこしずつ、つながっていく。ほんの数センチの編み地なのに心の中に「できた!」という喜びが確かに芽生えた。

そのとき気づいた。
編み物は、コピーとはまったく逆だ。コピーは削ることで研ぎ澄まされる。
編み物は足すことで前に進む。コピーは最小限の言葉で伝えることを求められるが、編み物は一目一目を積み重ねて形になる。どちらも「つくる」という行為に変わりはないが、時間の流れがまったく違う。
積み重ねる時間の中で、心は静けさを取り戻す
コピーの世界は速さが命。一方で、編み物の世界は遅さが美徳。針と糸を動かしながら、私はその「遅さ」に救われていた。針先に集中すると、思考のノイズが消え、呼吸がゆっくりになる。

一目、また一目。それは単なる作業ではなく、心を整える儀式のようだった。考えるよりも、ただ手を動かしているうちに静かな満足が訪れる。時間がかかることをネガティブとせず、むしろ「豊かさ」として受け入れる世界。その感覚が、久しぶりに私の中のリズムを取り戻してくれた。
完成した編み地は短い紐のようなもの。けれど、そこには「積み重ねた時間」と「心が落ち着きを取り戻す感覚」が刻まれている。
糸の端を結んで手のひらにのせると、ほんの少し温かい。それは形を持った“余白”のようでもあった。

コピーと編み物。速さと遅さ。短さと積み重ね。
正反対の営みのあいだにこそ、言葉を紡ぐ者が学ぶべき“余白”があるのかもしれない。言葉を削る日々の中で、私はあの日、毛糸を編みながら「足していくことの力強さ」を知った。
それは、言葉にも、人生にもきっと通じるものだと感じさせられた。
【第2,4水曜更新予定】

吉免高志さん
企業やブランドの「らしさ」を見つけて、言葉にするコピーライター。売るための言葉はもちろん、好きを生み出す言葉、共感が芽生えるストーリーを大切に、ブランド設計、コーポレートメッセージ、SNS用投稿文など幅広く手がけている。
あみものできた!









