社長エッセイ ―手芸 この素晴らしき世界― vol.1

最初はとても好きにはなれなかった…

瀨戸信昭
これまで70余年で発行してきた本の前で。総タイトルは7,000を超える

はじめに

皆さま、こんにちは。この度当社のECサイト「手づくりタウン」を情報サイトとしてもさらに充実したものにと、リニューアルいたしました。
そこで、大変おこがましいとは思いましたが、この世界で長年見聞きしてきたことをエッセイとしてお伝えすることで多少なりとも皆さまの手づくりライフが広がっていってもらえたらと考え、拙いお話しですがお付き合いいただけたらと思います。

私が日本ヴォーグ社に二代目として入社したのが1976年、足かけ半世紀にもなる。
親父が私の誕生した翌年立ち上げたのが当社である。(父が編集長を務めた前社が倒産したため …いずれその話もいたします)

私は大学では、体育会で主将を務め日本代表にもなった「体育会系」人間なので、 その道に進んでみようかと案じ 、親父に相談した。
その時、親父の見せたちょっと寂しそうな表情から、勝手に「入社して力になろう」と決めた。

入社3~4年目、まだ体育会系のノリだった

創業20年ほどになっていた当社は編物出版ではそれなりのポジションを得ていた。
また、当時数少なかった女性たちの「仕事」の中で主婦でも立派に稼げ評価も高かった編物教室を全国的にネットワーク化して技術認定を行う協会も有し、会員数も2万人になっていた 。
その10年ほど前に取り組んだ手編み通信教育も空前のヒットとなり、なんと通算100万人も受講いただいた。
結果、市ヶ谷に12階のビルを持つまでになり、異色の成長会社と出版界からは映ったに違いない。

市ヶ谷ビル
1967年に始めた「手編み通信講座」が、その後年間10万人を超える受講者となる大ヒットとなり1970年に東京、新宿・市谷(現防衛省向い)に13階の自社ビルが建った。

当たり前のことだが、手芸の会社なので100数十名の社員の中で男性は2割程度、作家さんや編物講師の先生方はほとんどが母親世代。
体育会時代とは一変し、なかなか話もままならない。
入社後しばらくして、これでは「井の中の蛙(ルビかわず)」になると積極的に異業種交流会やらセミナーに参加した。
そこではまじまじと「手芸でビジネスですか?」と驚かれたことは一度や二度でない。
体育会系人間として常に上昇志向で、ビジネスマンとして「立派な企業家」なるものを描いていたので、早速直面した現実とのギャップに戸惑いは隠せなかった。
手芸の世界は、人生を賭ける生業として受け入れにくい気持ちがかなり続いたのであった。

いわゆる「後継者育成」として、入社して10数年はすべての業務にかかわりそれぞれのエッセンスを学んだ。
営業、編集、通信教育、ヴォーグ学園、通信販売、社団法人日本編物文化協会、財団法人日本手芸普及協会、教育事業、イベント、コンクール…。
その過程で本当に多くのことを知り、学び、沢山の出会いがあったことは言うまでもない。
そして様々な手芸ジャンルで活躍する作家さん、講師、インストラクターさんと全国各地で交流頂きそのご縁は長く続いている。

皆さまの手芸への熱き想い、手芸仲間 同士が共有するひと時の幸せ感、講座や展示会で感じられる作品作りへの真剣なまなざし。

その場面場面に幾度となく接し、手芸の奥行き や魅力、人と人とを結びつける力、に「手芸、この素晴らしき世界」と再認識するばかりです。

生まれ変わった本サイト「手づくりタウン」で、その手芸の奥行きもできる限り皆さま にお届けできればと願っています。
皆さまからのご意見、ご要望もお待ちしております。

社長エッセイ ―手芸 この素晴らしき世界―